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日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2009.05.21 Thu
東京名所図会~上野公園・西郷隆盛像・彰義隊の墓
朝っぱらから入浴。
その後、洗濯を済ませて、本郷の病院へ(フジクロス)。

いつものように、墨堤通りの激安弁当を買って、隅田川堤で食す。
さすがに、ここの弁当も飽きてきたぞ。
浅草の国際通り沿いにも激安弁当屋があるので、今度は、そっちを試してみるかな・・・。

IMG_2143.jpg
(桜橋近くのベンチでお弁当)

病室では、既に二つの検査を済ませたお袋が、ベッドに座って本を読んでいた。
今日は、不平不満の爆発で、自分は、大学病院の「実験台」にされているのはないか・・・、こんな日々を送っていたら、健康な人でも病気になってしまう・・・、早く普通の生活に戻りたい・・・、手術の前に一度退院したら、二度とこんな病院にくるものか・・・。
そうだ、そうだ、その通りだと私は聞くのみ。
一通りぶちまけると、今度は逆に、この病院の素晴らしさを列挙しはじめる・・・。

洗濯物を受け取って、駿河台の職場へ。
今日は、別に仕事があるわけではないので、同僚と世間話&来週の会議の打ち合わせをして、帰路に着く。

まだ日が高いので、久しぶりに上野にでも寄ってみることにする。
御茶ノ水橋を渡り、昌平坂を下って、中央通りを左折。
あっという間に上野広小路に出る。

上野公園内の桜並木道を走る。
平日なのに、人出が多い。
木漏れ日の下、修学旅行生たちが、ノートを片手に史跡の説明板を写していたりする。

今日はかなり暑い。
眺望が開ける山王台の西郷隆盛像前のベンチでお茶を飲みながら休憩。

IMG_2147.jpg
(高村光雲の西郷像)

この高台から、西郷が見つめている方向を眺めて見る。
広小路から中央通りが南に延びている。

IMG_2148.jpg
(西郷像の視線の先の風景)

試しに、自転車に取り付けてある方位磁石で、西郷がどっちの方角を眺めているか調べてみると、真南よりやや西方向といったところか(身体は真南だが、首はそれより西の方へ向いている)。
ということは、西郷の視線の先にあるのは、ほぼ、江戸城であり、富士山であり、鹿児島(薩摩)である。
つまり、西郷は、故郷の薩摩を遠く望んでいると同時に、戊辰の内戦時に西軍(新政府軍)の総司令官だった大村益次郎の像(靖国神社)と睨み合っているような位置関係になるわけだ。

今は睨み合っているが、もちろん上野戦争(1868年)の時は、大村と西郷は味方同士であった。

実は、面白いことに、この西郷像の背後に、彰義隊の墓がある。
上野戦争で、西郷が薩摩軍を率いて戦った敵方である。

IMG_2144.jpg
(西郷像の背後にある彰義隊の墓)

上野戦争時、現在西郷像がある場所が、彰義隊及び幕府軍(東軍)の砲台のあった場所だというのだから、尚更、面白い。

1868年夏の雨の日、西郷隆盛率いる薩摩軍精鋭は、ぬかるむ道に足を取られながら、西郷像が見つめる現在の中央通りを上野の山に向かって進軍していた。
しかし、山王台に据えられた東軍の砲台からの攻撃に、西郷軍は、なかなか正門(黒門)を突破できずに攻めあぐねることになる。
それに対抗するに、大村益次郎が、本郷台(現東京大学構内)に装備した新式の英国製大砲(アームストロング砲)を上野の敵陣に撃ち込むよう命じて、戦局を打開したというのは有名な話である(これにより、上野寛永寺の大伽藍はほぼ全焼)。

IMG_2145.jpg
(彰義隊の墓の説明板・上野戦争の概略あり)

結局、たった一日で東軍は総崩れになり、奥州街道筋に逃走することになる。
しかし、このときは新政府軍の重鎮であった西郷も、ほぼ10年後の西南の内戦(西南戦争)では、今度は逆に、(何と「陸軍大将」の位のまま)明治政府軍と戦うことになり、結局、彰義隊と同じ鬼籍(逆賊)に入ることになる。

こう見てみると、西郷隆盛像と彰義隊の墓が、南西に向かって「縦列」を組むような位置関係にあるのは、むしろ自然な配置なのかもしれない。

走行距離:37キロ(フジクロス)
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