日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2005.09.29 Thu
あおによし
数年前、東京都知事(名前は失念)が音頭をとって、排ガス条例を敷いた。
都内に入ってくるディーゼルエンジン車(軽油車)の排ガスを軽減することを強制する条例である。

これにあたり都知事は、ペットボトルに排ガスから出る煤を詰めたものを持って記者会見場にあらわれ、これ見よがしに、中身をまき散らしながら、「こんなものを東京にばらまいていいのかっ!」と息巻くという、いかにも滑稽なシーンが、連日テレビでたれ流されていたのを記憶している。

ために、その条例の施行日までに、高価な排ガス軽減装置を着けるか、車を買い換える必要に迫られた運輸会社は、廃業に追い込まれたり、多額な借金を抱える羽目になった。
しかも、さる、旧財閥系の会社(名前は失念)が、排ガス軽減装置の粗悪品を売りつけたというかどで、司直の手にかかるという、情けない後日談までついた。

この排ガス条例は、結果として、きわめて自然破壊を助長するものであることは、残念ながら、認識されずに今日に至っているように思う。
なぜなら、この条例の成立によって、廃車になった車両は、間違いなく、東南アジアあたりに売りに出され、彼の地で煤をまき散らすであろうから。
つまり、地球規模で考えた場合、東京都のゴミが、他の土地へ運ばれたに過ぎない。
環境保護にとって、一番害悪をもたらす態度とは、「自分さえよければいい」という考え方である。
国別に見れば、その悪例は、京都議定書に調印しなかった米国。
都道府県別に見れば、東京都である。

その都知事(名前は失念)の普段の言動からして、政治家としては、4流以下で、実にスケールの小さな人間であることは明々白々ではあるが、困ってしまうのは、そんな人物の気まぐれの猿芝居のお陰で、災いを被る人がいるということである。

そう言えば、最近、葛飾は水元公園の中にある「緑の相談所」の職員の方が、今の都知事(名前は失念)になってから、都の自然保護関係の予算が減らされて困っていると嘆いておられた。
さもあらん。

ずいぶん前のことだが、ダグラス・ラミスという人が、何という本であったか忘れたが、東京に自「転」車専用の「高速」道路を作ったら良いのではないかと書いていたのを思い出す。
なかなかの名案だと思って、感心したのを覚えている。

ところで今、奈良についての勉強をしている。
勉強とは言っても、近く、奈良に行くので、その計画を練っているということ。
あれこれウェッブで調べていて驚いたのは、奈良における自転車道路の整備が実に進んでいることだ。
もちろん、観光地としての努力の一環ではあろうが、他の自治体でも、小予算で実現でき、しかも、排ガスを出さない自転車のための道路をもっと作ってみてはどうか。
自転車は、早くて、安くて、健康な移動手段であり、産業革命以降、人類が発明した大傑作だと、常々、思っている。

奈良県の主旨は、こうである。

> 大規模自転車道(サイクリングロード)は、公園、名勝、観光施設、
> レクリエーション施設等を結び、あわせて自転車利用の増大に対処す
> るために、「交通事故の防止と交通の円滑化に寄与し、あわせて国民
> の心身の健全な発達に資すること」を目的として整備が図られていま
> す。
>  奈良県では、現在、1974年度に着工された奈良西の京斑鳩自転車
> 道線(奈良自転車道)を皮切りに、大和郡山田原本橿原自転車道線
> (大和中央自転車道)、明日香大和郡山自転車道線(飛鳥葛城自転車
> 道)の計3路線の整備が進んでいます。

まるで、高速道路について言っているようだが、これは、自転車道路(サイクリングロード)の話である。
すべてが完成すれば、総距離70キロ以上になるというのだから驚きだ。
どこかの東国の薄っぺらい知事の考えることと較べると、何と、豊かな夢があるであろうか。

詳しくご覧になりたい方は、以下のページを参照にされたい。

http://www.pref.nara.jp/toshi/walking_map/nara/bike/coursebike.html

あおによし 奈良の都は 咲く花の
にほふがごとく 今盛りなり

藤波の 花は盛りに なりにけり
平常(なら)の京(みやこ)を 思ほすや君

と詠われたのは、今から1300年ほど前のこと(万葉集)だが、この調子だと、この古都が再び、花の都になるのも、そう先のことではないかもしれない。
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2005.09.27 Tue
発掘現場の中で自分を鍛え上げた人
考古学の世界では、以前から、佐原真(佐倉の前国立民俗博物館館長)のファンです。
考古学という、徹頭徹尾、唯物論的な世界を、現代に繋がる「反省」の学に仕上げました。

民俗学では、宮本常一。
戦前戦後の、萌え立つような田舎を、伊能忠敬も顔負けなほど、自分の足で歩き続け、民俗と時代を記録しました。
晩年の彼は、記紀万葉風土記や考古学の世界と、自分の触れた「民俗」とを融合しようとしましたが、道なかばにして死んでしまいました。
惜しいことです。
とりわけ、宮本常一の『日本文化の形成』(講談社学術文庫)は、そういう意味で、名著『忘れられた日本人』(岩波文庫)と同様、われわれの未来をしっかりと照らしていると思います。





もう一人。
森浩一の、エネルギッシュな考古的な姿勢にも、並々ならぬ魅力を感じます。
森浩一は、犬のように、土地勘が鋭い。
中世なら、優れた戦略家になれるような嗅覚で、遺跡と古文書を読みこなす。
縄文であろうが、弥生であろうが、古墳であろうが、何でもかみ砕き、味を嗅ぎ分ける凄さがあります。

佐原真さんが亡くなる直前、大阪でお会いしたことがあります。
考古学の話しを始めると、本当に楽しそうでした。
ああ、この人は、発掘現場の中で自分を鍛え上げた人なんだなということが、よく分かりました。

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2005.09.21 Wed
愛しの光化門(カンファムン)
僕が初めてソウルに行ったとき(春の雨の日でした)は、ちょうど、朝鮮総督府が解体された後で、工事の傷跡が生々しく残っていました。

よくぞこんな場所に総督府を建てたものだと呆れ果てる思いでした。
光化門(景福宮の正門)を入った所に、立ち塞がるようにして、銀行のような、醜劣で文鎮のごとき巨大な総督府を建設したわけですね。
まるで、朝鮮半島を睥睨するように・・・。

よく言われるように、景福宮の建築配置は、朱雀大路に相当する漢城(現ソウル)の大通りから、光化門―景福宮―北岳山と風水の気軸がすぅっとまっすぐに通るように工夫して建てられていたのですが、日帝(大日本帝国の略称)は、その気脈を封鎖断絶する位置に、わざわざ総督府を建設したわけです。

このコンクリート建築物を構築することによって、朝鮮人の精神までも圧殺しようとしたに違いありません。

「恨五百年」ではありませんが、、しかし今、日本による二度の侵略(秀吉と日帝)によって破壊され、その後、だめ押しのように、朝鮮戦争の戦火で廃墟と化したソウルとその景福宮は、復元中の清渓川とともに、その本来の姿に戻ろうとしている。

思えば、何度ソウルを訪れても興味が尽きないのも、エネルギッシュで剛直でしなやかな韓国人の気質から学ぶところ大であることに加え、その本然に復しつつある古都の姿を確認したいからなのかもしれません。

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2005.09.20 Tue
想はぬ科を犯した人
僕は、高校まで徒歩10分だったのですが、鐘が鳴る10分前に飛び起きて、パジャマの上に制服(詰め襟)をバサッと羽織り、自転車に飛び乗って爆走しましたが、あえなく遅刻すること頻々。

僕の高校では、不思議な慣わしがあって、学期末になると、学年ごとに遅刻回数十傑が貼り出されることになっていて、僕は、毎学期、ほぼ20回以上遅刻していたので、毎回、名前が載るという光栄に浴しておりました。

ただ、これには、罰則付きで、「十傑」の面々については、原稿用紙五枚程度の読書感想文を書くという課題が出されました。

そういうわけで、ほぼ毎学期、感想文を書いていたわけですが、僕も僕で、毎回、森鴎外の「高瀬舟」の感想文を書いて出しました。

お陰で、高校の三年間、鴎外の「高瀬舟」(罪人護送の話)の読みは相当に深くなったと自負しております。

因みに、「高瀬舟」の一節には、こうある。

> 高瀬舟に乘る罪人の過半は、所謂心得違のために、想はぬ科(とが)を犯した人であつた。・・・・・・

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2005.09.19 Mon
筥崎宮の謎
筥崎宮は、元寇の時焼失したということだったので、現存しないと思ってました。
調べてみれば、日本三大八幡宮の一つということで、知らないことの恐ろしさを味わった次第。
というわけで、筥崎宮には、もちろん、まだ行ったことがありませんが、放生会という「大露天屋台祭」のようなものがあるとは初耳でした。
いかにも、断腸亭好みの催しなので、是非とも、この時期に合わせて九州に行ってみたいです。

ところで、この神社の由来には、こうあります。

> 神功女帝が応神王を産んだ後、その胎盤(御胎衣=おえな)を箱に
> 収めて埋め、そこに松を植えた「筥松」が本殿のすぐ脇にあり、こ
> の筥松のある岬ということで、「筥崎」と呼ばれるようになったら
> しい・・・。

昔の海岸線は、今よりもずっと食い込んでいて神社のすぐ近くに箱崎港があったことが分かりますが、ちょっと驚いたのは、応神の胎盤を箱に入れて埋めたというくだりです。

胎盤を瓶に入れて家の戸口に埋葬するという習慣は、縄文時代なら当たり前の風習で、列島中の遺跡から夥しい例が発掘されています。
この風習は、世界的にもよくある風習で、日本でも、江戸時代の屋敷跡からも、こういう例が見つかっているそうです。

こうした胎盤処理について、網野善彦は、名著『「日本」とは何か』(講談社)の中で、大体、次のようなことを書いています。

人にふまれ易い家の戸口に埋める縄文文化の流れをくむ地域・列島東部と、日の光に当てないように、深い穴を掘って埋める弥生文化の流れをくむ地域・列島西部、「穢れ」を殊更に意識する朝鮮半島の人々と列島西部の人々に共通する被差別部落の存在、縄文文化の流れをひく社会では穢れに対してはさほど神経質ではないが、弥生文化の流れをくむ社会では穢れを強く忌避する傾向がある。

天皇の家系は、明らかに弥生・渡来系なので、「穢れを強く忌避する傾向」にあったはずですが、筥崎の胎盤埋葬はも、こういう意味があったのかどうか。

この神社は、明らかに、朝鮮半島を意識した社であることと考え合わせるとどうなるのか。

そんな疑問を持った次第。

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2005.09.19 Mon
文化祭始末記
高校2年の時、文化祭でたこ焼き屋をやりました。
たこ焼き屋と幽霊屋敷と手相占いを同時にやったのです。
手相をした人だけ(50円)が、幽霊屋敷に入れて(50円)、幽霊屋敷から出てきた人は、150円のたこ焼きが50円引きということにしたら、わんさとお客さんがやって来て大繁盛(ただ、やはり、たこ焼きの鉄板を事前に買って、毎日練習しましたよ)!

確か、上がりが数万円になりました。
ところが、文化祭での収益は、すべて学校に上納しなければならない規則になっていたのですが、文化祭終了後、みんなでそのお金で飲み食いをしてしまいました。
このままでは、「使い込み」がバレる、どうしようと思案の末、市役所に乗り込んでいって、酔っぱらった勢いも多少あったかもしれませんが、「困っている人のために」という名目で残金を全額寄付してしました。
これで、学校から何か聞かれたら、「寄付しました」と、言い訳にもならない言い訳をして、使い込みを隠蔽できると思ったからです。

ところが、翌日、そのことが地元紙に大々的に出てしまったのです。
「C高の学生、文化祭の収益を寄付!」という大見出しで・・・。
それはまあいいとして、金額までもが。

思っていたとおり、翌朝登校すると、われわれは、すぐに校長室に呼ばれました。
これは、少なくとも停学かな。
中には、二回目の生徒もいて、二回目の停学は退学扱いになるので、肩を落として校長室にむかいました。

校長室には、校長・教頭・文化祭担当のS先生が待っていました。
S先生は、その表情から、かなり怒っているのが分かりましたが、校長は、「君たち、寄付したんだって?」と笑みを浮かべて言いました。
「はい、すみませんでしたっ!」とわれわれ。
「まあ、良いことしたな・・・」。

その後、しばらく沈黙が続いたけど、それ以上、特に何の話しも、お咎めもなく、われわれは校長室を後にした。

先生たちも、われわれの扱いには苦慮したことだろう。

今、思い出しても、耳たぶが赤くなるほど恥ずかしい気持ちになります。

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2005.09.16 Fri
湖水地方
山中湖から帰ってきました。

魚三、福岡の寛さんも、お連れすることができなかったのですが、今度、是非、参りましょう!
門前仲町の魚三は、上に座敷もありますが、葛飾の新小岩の魚三は、カウンターのみで、せいぜい、二三人までの人数が適当かと。
味は、新小岩の方が上のような気がしますが、おばちゃんの愛想の悪さも、新小岩のが上です。

例年、夏になると決まって山中湖に合宿に行きます。
しかも、毎年、やっていることも同じ。
学生たちと大酒を食らって、一緒に映画を一本見て議論し、ほうとうを食べて、「紅富士の湯」につかって・・・。

そう言えば、イギリスの有名な観光地に「湖水地方(the Lake District)」という所がありますね。
日本人がイギリスを旅すると、食事はまずいし、空気も悪いし、緑も少ないし、山もなく景観も単調なので、パブでビールを飲んでいるとき以外は、まるで夢が枯野を駆け巡るかのような不幸せな過客になっていたのが、湖水地方に来ると、何故か、俄然、元気が出るという体験をしたことはありませんか。
理由は簡単だと思われます。
山もあるし、まあ湿潤だし、草木が豊かで、景色がどこか箱庭的で、例えば、日本の山中湖や河口湖や芦ノ湖にそっくりだからではないでしょうか。
イギリスくんだりまで出かけて行って、山中湖みたいだと言って喜んでいるというのは、情けない話ですが・・・。

今回は、一見で入った店のほうとうが見事なまでにまずかったけど、富士が山頂まで見える瞬間があったのがラッキーでした。

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2005.09.12 Mon
酔狂なる夢・911事件
あの事件の日のことは、僕もよく覚えています。
前日から、ずっと大田区平和島の音楽スタジオに詰めていて、外国で何か大きな「事故」があったらしいとの噂を聞いていたような気がしますが、あまり気にも留めませんでした。
帰宅したのが午前4時ぐらい。
疲れ果てていて、そのままバタンキューで寝てしまい、翌朝、テレビを見てびっくり仰天しました。

咄嗟に感じたことは、まるでハリウッドのスペクタクル映画のようだということと、これをやった首謀者たちは、日帝時代の神風特攻隊からヒントを得たんじゃないかということ。
そんな感想をどこかの掲示板に書いたような記憶があります。
ハリウッド映画の映像が持つ喚起力(spectacularism)と神風特攻隊の攻撃法の意外性(suicide pilot)を軸として発想されたのではないかという内容の・・・。

しかし、あの事件の後、米国は、「大量殺戮兵器の解除」と「テロと闘う」という目的で、大量殺戮兵器を使ってイラク攻撃を始めました。小泉政権も、その尻馬に乗って、イラクに日本の官軍を派兵しました。

ところが、どう考えても、あのテロの担い手はイラク国家ではなかったし、大量殺戮兵器も、そもそもが存在しなかったということが判明し、まるで、大山鳴動してゴキブリも出なかったという(高価な)空騒ぎに終わり、トホホな顛末と相成りました。

それにしても、今だに、用無しの自衛隊がイラクにいるのかと思うと、この世ならぬ不思議さを感じる。
これも、この4年間の酔狂であったのだろうか。

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2005.09.11 Sun
スピルバーグの力量健在なり
戦後60年。
しっかり反省したはずの世界だったけど、結局、今も、アメリカが中心になって、同じ誤りを犯しつつある。
何か、違った視点が必要になったいるのかなあ、という気がしております。
夕べ、ビデオで、南北戦争前夜のある一事件を扱った『アミスタッド』(1997年/スティーヴン・スピルバーグ監督)という作品を見ました。
http://www.actv.ne.jp/~yappi/eiga/EC-08amistad.htm
ジョージ・ルーカスが、単なる特撮物の4流監督になりさがってしまったのにひきかえ、スピルバーグの力量は健在です。
テーマは、今や、死滅しつつある、アメリカ民主主義の原点。
なかなかの力作ですよ。

映画の日々    Comment(0)   TrackBack(0)   Top↑

2005.09.08 Thu
一陣の涼風~石原知事の妄言に寄せて
一陣の涼風

今更、石原都知事の話題なぞ、屑屋も拾わないだろうが、この夏、ちょっと爽やかな話に出会った。

ただ、その涼風の中身についてはおいおい述べることにして、そのためには、そもそもの事の発端に遡らなければならない。

去年の10月、石原東京都知事がある発言をしたことに発するのだ。
その発言を聞いていただく前に、念のため、今、物を食べたり飲んだりしているしている最中の人は、是非とも、それを飲み込んでから、以下の発言を読んでいただきたい。
でないと、それこそ、「噴飯」してしまいかねないからだ・・・。

石原曰く。

「フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする。そういうものにしがみついている手合いが(首都大学構想に)反対のための反対をしている。笑止千万だ。・・・」

驚きである。
人種差別発言や女性差別発言がお得意な石原だが、まさか、こう来るとは思わなかった。
今度は、何と、「言語」批判なのである。

ただここで、彼のお気に入りの「批判」の対象には、ある共通点があることに気づく。

女性ということ(男性ではないこと)、第三国人であること(日本人でないこと)を批判した彼にとって、第三国人の亜人種たるべきフランス人の言語も、当然のことながら、批判の対象になるわけである。
どれも、女性や国籍(民族)など、「生得」的な要素を批判の対象としている。
だから、批判された側は、大変に困る。
明日から、別の性別や国籍に変えることができないからだ。
つまりは、「日本(国籍)の男」以外は、すべてが批判の対象になる可能性があり、彼の「病(やまい)」がこのまま進行すれば、ミミズがミミズであるが故に批判され、ミジンコはミジンコである故に批判され、朝鮮語やスワヒリ語は「ひらがな」がないという理由で批判されかねない。

ただ、彼が「国際語」にはなり得ないという理由で、フランス語(因みに、世界で2億8000万人余が使用)を排斥せんとしていること自体が、考えてみれば、えらく奇怪である。

はてさて、国際語とは、何だろう。

細かい定義はいざ知らず、「その時代において、最大の軍事力・経済力を擁する民族ないしは国家の公用語にして、その支配勢力地域において広汎に通用する言語」というあたりが、公約数的な認識であろうか。

とすれば、われらが日本語なぞは、真っ先に国際語の候補からはずれるばかりでなく、他の殆どすべての言語もただちに落選し、そこにはただ、「英語」至上主義ばかりが浮き彫りにされる、死神も蒼ざめるような殺伐たる言語地図が広がるばかりである。

差し出がましいことながら、私自身は、日本(列島)語を愛する者のハシクレとして、未来永劫に渡って、日本語が絶対に国際語にならないことを、心底、念じている(第一、それは「恥ずかしい」ことではないか)。
ついでに言わせてもらえば、私の夢想する「国際」状態とは、多数の言語・文化が百花繚乱を舞い踊っている状態のことであり、一つないしは少数の言語・文化が他を圧倒蹂躙する状態(これをば、普通、「独占」というのではないか)ではない。(「国際」主義とは、「独占」主義、あるいは帝国主義の謂や?)

かつて、ラテン語(古代ローマ語)という「国際語」が西欧に君臨し、何世紀もその地を支配し続けたが、現在は、この地球上に、人っ子一人も、そのラテン語を使って生活する者はいないということを銘記すべきかもしれない。

かくほどさように、言語は、「水もの」なのである。

数が数えられないフランス語!

むむ?
これは、いかなる意味ぞ。

これでも、私は、おフランスに行ったことがあるけど、フランスの人々は、パリの町中でも、ちゃんと物を買って、正確にお金を払ってお釣りをもらっており、少なくとも、数の数えられない人は、一人も目撃することはできなかった・・・。

実は、これについては、2005年7月の石原の記者会見の発言がある。

「イギリスは12進法を10進法に統一した。・・・そういう努力がなされないことが非常に残念」。

なるほど。
「フランス語は数を勘定できない言葉だから・・・」という発言は、フランス語の数の数え方が10進法ではないということだったのだ。
つまりは、10進法にすべきだという言い分だが、しかし、こんな何の根拠もないことに基づいて、わざわざ発言している人がこの世に存在すること自体、まさに驚異である。

世の中をざっと見れば・・・、

一年は12ヶ月(12進法)だし、月は28進法・30進法・31進法の混合だし、時間と分は60進法だし、コンピュータは2進法だし、円周は360進法だし、日本の「元号」なぞは何進法と言うことすらできない・・・。
10進法でない例は、枚挙にいとまがないほどである。

こうした「進法」をすべて10で割って、10進法にできないことはないだろう。
しかし、なぜそうしないか。
そういう根拠もないし、そもそもがそんなことをするのが馬鹿らしいからである。

ついでに言わせてもらえば、僕は、新暦よりも旧暦の方が、一年の暮らしのリズムと季節感に合致していて親しみやすいと思うし、尺貫の方が、身体の原理に密着していてすぐれていると思うのだが・・・。

さて、このような石原知事の異様な発言に対しては、様々な反応があった。
日本でフランス語を教える教師たちから抗議の声があがった。
また、フランスの一流紙「ル・モンド」も、日本の首都の知事にあるまじき不見識な発言を嘲笑とともに批判して、それを読んだフランス人は肩をすくめた。
当然である。

前置きが長すぎたが、冒頭の「この夏のちょっと爽やかな話」というのは、その顛末である。

7月26日の毎日新聞に掲載された以下の記事を引用して筆を置く。

>  「フランス語は数の勘定ができず、国際語として失格」などと
> 発言した石原慎太郎・東京都知事にフランス語を勉強してもらお
> うと、明治大学のフランス語専任教員の有志が26日、都庁を訪
> れ、教科書や辞書、電卓の「学習セット」をプレゼントした。
>  政治経済学部の小畑精和教授ら13人。石原知事は28日まで
> 休暇のために不在だが、「勘定の仕方を含めて言語は多様。違い
> を認めることが国際理解の第一歩であることも学んでください」
> などとする要望書とともに、都民の声課の担当者にセットを手渡
> した。
>  「コツコツ勉強すれば、数は数えられるようになる。難しけれ
> ば、われわれが個人教授いたします」とメンバーたち。小畑教授
> は「抗議というより、フランスのエスプリを示したかった。知事
> にはぜひフランス語を理解してほしい」と話した。
>  石原知事の発言は名誉き損に当たるとして、フランス語学校長
> ら21人が13日、謝罪広告や損害賠償を求めて東京地裁に提訴
> している。【猪飼順】
> (毎日新聞) - 7月26日

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2005.09.07 Wed
台風異聞・ゴジラのイメージ
今回もまた、台風が日本列島に上陸して、現在、北陸沖を駆け登るように北上中である。

台風の記憶。

不謹慎の誹りを恐れずに言えば、子どもの頃から、台風が近づいてくると、何かこう、うきうきしてしまう自分がいる。
ただこれでも、太平洋に突き出た海辺の街で育った私にとって、台風の恐ろしさは重々承知しているつもりではあるのだ。
家の下の川が冠水して、親戚の家が濁流に飲み込まれたのもこの眼で見たし、友人の家が潰れて、泥土にまみれた倒壊家屋の片づけを手伝ったこともある。

にもかかわらず、うきうきしてしまうのは、台風が近づいてくると、子どもの私にとっては、あたかも、祭りの準備が始まったかの賑わいのように感じられたからだ。
いつもは「面白味のない」大人たちが、俄然、にわかに騒ぎ立つ。
台風に備えて、戸板を打ち付ける音や屋根瓦の補修をする掛け声があたりから聞こえてくる。
八百屋や魚屋への買い物だって、今の内に済まさなければ・・・。

いざ台風が間近に迫ってくると、家中の雨戸は全部閉めきられ、昼でも家の中は夜のような雰囲気になる。
外では轟々と風が吹き、戸板に雨が突き刺さる。
低気圧特有の濃密な湿気とともに、身体全体が膨張するような感覚に満たされて、それが何故か、不思議な興奮を呼び起こす。
私たち子どもは、飴や煎餅をもって、(台風から身を守る)塹壕かトーチカに退避するような気分で押入の中に忍び込み、一緒に押し入れに入った子どもたちやそこにある蒲団と奇声をあげながら戯れあう。
そのときの何とも言えぬ興奮は、どこかエロティシズムに通じるような感覚でさえあった。
高揚感と言ってもいい。

台風のイメージ。

今回の台風は、長崎県に「上陸」した。
この上陸という言い方自体が、そもそも、台風を擬人化している証拠である。
台風は、南からやって来て、日本列島に上陸し、北上して消滅する。
まるで、ゴジラみたいに・・・。

ゴジラは、遠い南海から海原を渡って列島に到来し、上陸して、山を越え、川を跨ぎ、街を破壊し、何らかの理由で消滅する。
1954年のシリーズ第一作では、観音崎に上陸し、東京の街を蹂躙し、国会議事堂を破壊した。
第二作目では大阪城を灰燼に帰し、その後も、名古屋城や新東京都庁など、日本の政治と文化の象徴を破壊し続けた。

しかし、台風を体現したかのゴジラは、実は、もう一つの歴史的な記憶と結びついているように思う。

それは、太平洋戦争における、米軍による日本列島の襲撃である。
米軍は、南の島々(フィリピン島やサイパン島)を占領した後、沖縄に上陸した。
そこを拠点に、本土の都市に対して、一夜にして10万人以上の人々を無差別に爆殺するというゴジラ並の大災禍をもたらした。
それを迎撃つべき帝国陸海軍は、まるで、映画ゴジラに登場する「防衛軍」の如く、ひねり潰されるだけで、まったく歯が立たない。
ゴジラの到来に、家財を積んだ大八車を引きながら逃げまどう姿は、まるで、空襲下の日本人の姿そのものではないか。
そして、極め付きは、原子爆弾の投下・・・。

原子爆弾。
そうなのだ。
そして、ゴジラこそまさに、原子爆弾の申し子なのである。
ゴジラは、米国の原子爆弾実験によってまき散らされた放射能が原因で奇形化した巨大生物なのである。

米軍の攻撃に対する怨念と恐怖心、台風に寄せる伝統的な畏怖心、原爆の破壊力への怯懦とその放射能に対する不安感。ゴジラは、そうした諸々の記憶と感情を体現した存在なのではないか。

そう言えば、第2作目の『ゴジラの逆襲』(1955年)では、海洋会社に勤務するパイロットが氷壁を爆撃することによりゴジラを氷塊の中に埋もれれさせることで落着している。映画の中では、このパイロットは、元零戦乗りだったとされている。まさに、敗戦の、遠回りな意趣返しのような話しではないか。
因みに、国家警察予備隊が正式に自衛隊になるのは、この映画が公開される前年のことだった。


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