日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2003.11.25 Tue
しゃらくささの超克~立ち食い蕎麦
しゃらくささの超克

職場近くの駅構内にある、立ち食いソバ屋をよく利用する。

ソバ屋と言っても、うどんもカレーもラーメンもいなり寿司もあって、美味しいとはいえないが、電車に乗る前に、一種の心のワンクッションをおきたいときには、なかなかありがたい存在である。

立ち食いソバ屋の蕎麦はえらくまずいのが相場なので、まずくても比較的我慢できるうどんをよく注文する。

さて、その店だが、どんな風のふきまわしか、最近、ある大革命を決行したのだ。

なんと、うどんについてのみ、「関西風の汁」を採用したのである。
私の知る限り、東京では、そんな立ち食い屋は初めてである。

確かにうどんは、関西風のタレのがはるかにうまいので、私は大喜びして、以来、いっそう頻繁に通うことになった。

ところが、今夜、いつものように、電車に乗る前に店に入って、関西風のうどんをすすっていると、60歳ぐらいの職人さん風のおじさんがふらっと入って来るなり、カケうどんを注文した。

ところがそのおじさん、出てきたうどんを一口すするなり、「醤油、くんな」と言って、カウンターのおばさんが醤油を出すと、ジョボジョボとうどんの上にかけた。

そして、一心不乱にうどんを平らげると、水を立て続けに2杯飲んで、「ここのうどんは、塩っからくていけねえ!」と言い放ち、ぷいっと店を出ていった。

あんなに醤油をかけたんでは、「塩っからくていけねえ」のは当然ではある。

だが、何だか、そのおじさんは偉いなあ!と思った。

東京の、たかだか立ち食いうどんに「関西風の汁」を導入するなんぞ、そのおじさんに言わせれば、「しゃらくせえ」のかもしれない。

この種の「しゃらくささ」が町に、社会に蔓延している。そして、どこも同じ顔になっていく。

私が苦手な大阪の土手焼きだが、断じて、関東の煮込みを真似するべきではないと、今、確信する。

明日から、「うどん、蕎麦つゆでお願いします!」と頼もう。
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2003.11.23 Sun
筑波の柿
筑波の柿

昨日の昼下がり、茨城は筑波山の麓の、八郷町の知り合いのお家(農家)に遊びに行った。

都心から70キロ。
のどかで美しい田園地帯で、心の吹き溜まりも、いっぺんに晴れてしまうような素晴らしい所だった。

この地(八郷)は、毎年11月の中旬になると、献上柿を納めていることで有名なのだが、畏れ多くも、まさに、その献上柿を産出する柿畑で、柿狩りを楽しんだ。

広々とした柿畑。
足下には、干瓢の黄ばんだ実が収穫されないまま、あちこちにごろんと転がっている。
そのお家の方から、専用のハサミををお借りして、チョッキン、チョッキン・・・。
思いついたように、秋風が吹き渡り、色づいた柿の葉がひらり、ひらり・・・。
およそ200個ぐらいの実を摘んだろうか。

その後、家屋の土間で、地域の様々なお話を伺いながら、日本は広いなあと慨嘆しつつ、お茶をすする。

帰り道、車で筑波山をぐるりと廻ってもらった。

途中、面白い蕎麦屋に立ち寄った。
幹線道路からうねうね道を入った、狐に化かされたような店。
店の前に、猪のなめし皮が3頭分、干してある。

蒟蒻と鴨と蕎麦を、冷えた胃のふに、熱燗で流し込み、両手一杯の柿の実に、痛い重さを感じながら、電車に飛び乗った。

そしてずっと、僕の頭の中には、次の歌が、繰り返し、響いていた。

筑波嶺の
峰より落つる
みなの川
恋ぞつもりて
淵となりぬる

現代語訳:筑波山の高いところから流れ落ちてくるみなの川、あの川のように恋の思いが募って、淵のようになってしまった。

小さな旅    Comment(0)   TrackBack(0)   Top↑

2003.11.22 Sat
町屋異聞~「ひげ一」
町屋異聞

夕べは、町屋(まちや)の「ひげ一(ヒゲイチ)」という飲み屋で、旧友と一杯。

「ひげ一」
荒川区町屋1-2-1佐藤ビル1階
http://www5a.biglobe.ne.jp/~nene/newpage23.html
上記URLに、店の紹介と地図あり。

「ひげ一」という店名、最初に見たときは、「ヒゲ~」と読むのかな?何だかしまりのない名前だと思ったら、「ヒゲイチ」と読むのだった(そりゃそうだ!)。
美味しい(丁寧に作ってます)し、安いし、焼酎の種類が豊富だし、「南方系(?)」の店員さんの感じもよかった。

町屋には、ムーブ町屋というビルがあって、その中にホールがあるので、コンサートの仕事で度々来たことはあるのだが、こうして街を歩くのは初めてだった。

この町屋という街は、ちょっと面白い。
京成線と千代田線と都電荒川線(唯一残存するチンチン電車)が交差する街。
で、町屋には、「駅前」というものがない。
つまり、外面的には、京成線と都電荒川線が十文字に交差しているだけ(千代田線は地下鉄なので見えません)で、あとは、いきなり「街」が始まり、展開しているのだ。

旧国鉄の駅と違って、京成線の駅には、駅前のない駅が多いので、これは特に珍しいことではないのだが、こんな大きな規模の街だと、ちょっと狭苦しい感じがするものだ。
大通りが一本、都電を踏み越えて、だぁーっと隅田川まで延びている(当然、いつも交通渋滞)。

その大通りから、かなり無秩序に路地が延びていて、葡萄の房のように小さな飲み屋がくっついている。

こういう街、好きだなあ。

あるアメリカ人が、東京の路地には、peace of mindがあると言ったことがある。

もともとは小さな街が、何の計画性もなく、その欲望のままに自然成長した街には、伸びやかな自由さがあるからなのかもしれない。

一度、チンチン電車に乗って、探訪することをお薦めしたい。

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2003.11.21 Fri
百人一首・偉大な教科書
百人一首・偉大な教科書

さびしさに
宿を立ち出でて
ながむれば
いづくもおなじ
秋の夕ぐれ
(良選法師)

ご承知の如く、百人一首にも収められた有名な和歌である。
この感覚、この季節になると、毎年覚えることだけど、よくぞ、31文字に結晶させたものだと、これまた、毎年のように、感心する。

高校生の頃、「百人一首」の注釈鑑賞本(今は紛失。確か250円だった)を買ってきて、繰り返し読んだものである。
「古文」が大の苦手で、少しでも、古文を読めるようになりたいという動機で読み始めたのだが、次第に、その奥深い詩情に圧倒された。

しかも、その半分は、ある意味で「生々しい」恋の歌だったことが、高校生の自分の心に共鳴し、また、心を掻き乱された。

あしびきの
山鳥の尾の
しだり尾の
ながながし夜を
ひとりかも寝む
(柿本人麻呂)

現代語訳:山鳥のたれさがった尾のように長い長い夜を、ひとりさびしく寝るのだなあ。

あひみての
のちの心に
くらぶれば
昔は 物を
思はざりけり
(権中納言敦忠)

現代語訳:あなたと会って恋に落ちて以来、激しくて苦しいその恋心にくらべれば、それ以前の自分は、何も感じたり考えたりしていないのも同然だったなあ!

由良のとを
わたる舟人
かぢをたえ
ゆくへも知らぬ
恋の道かな
(曽禰好忠)

現代語訳:由良の瀬戸をこぎわたる船頭が、舵をなくして 行方も知れず漂うのは、この先どうなるかわからぬ私の恋の道を暗示しているようだ。

「百人一首」は、ある意味で、偉大な恋の教則本であり、恋の成立と失恋をめぐる類い希な物語集である。

健全な日本列島人を育てたいと思うのならば、よろしく、文部科学省は、これをば、国定教科書にするべきである。

エッセイ    Comment(0)   TrackBack(0)   Top↑

2003.11.20 Thu
美味し恥ずかし学生の食卓
美味し恥ずかし学生の食卓

今朝は、冷たい雨です。
仕事に行くのが億劫ですが、あと30分で出かけなければ・・・

美味し恥ずかし学生の食卓・6品

学生は貧乏である。
貧乏は恥ずかしい。
よって、学生は恥ずかしいのである。

また、貧乏な人は美味しいものを憧れる。
そして、貧乏なのは学生である。
よって、学生は美味しいものを憧れるのである。

以上からして、学生は恥ずかしくて美味しいのである。
ムッ?

1. 「バターご飯」。
炊きたてのあつあつご飯を茶碗に盛る。ご飯の中央に箸で穴をあけ、そこにマーガリン(学生は貧乏なのでバターが買えない)を落とし、かき混ぜる。醤油をかけて、紅生薑を多め散らして、がーっとかき込む(学生に暇はない)。

2. 「梅サバペースト」。
98円以下のサバの水煮缶を購入。サバの水煮に梅干しの果肉だけを混ぜ、スリコギで丹念にペースト状にする(学生は暇である)。桃屋の瓶詰めの空瓶に入れて冷蔵庫に格納(約2カ月ぐらい持ちます)。熱いご飯にまぶしながら食べる。毎度、どんぶりご飯3杯は軽くいける(学生は貪欲である)。

3. 「モヤシ炒め」。
一袋50円以下のモヤシを購入。油(胡麻油がいいが学生は貧乏なのでサラダ油/機械油は不可/学生はものを知らない)をひいたフライパンにモヤシを投入。その後、醤油・塩・砂糖(学生は貧乏なので酒や味醂は買えません)・片栗粉を混ぜたものをぶっかける(隠し味に味噌をちょこっと)。(モヤシは安くて栄養満点。即席ラーメンの時もモヤシ/タマネギを入れるとグー。但し、「ちゃんと」麺だけ食べて、残りのスープに冷や飯を入れて食べること)。

4. 「目玉丼」。
スーパーの安売り日に、ワンパック(10個)88円(先着30名、一人ワンパックのみ)ぐらいの卵を購入。目玉焼き3個を作る。熱々のどんぶりご飯の上に目玉焼き3個をのせる。上から箸でズボズボ突き刺す(学生は欲求不満である)。そこに醤油をかけてかき込む。

5. 「卵丼」。
麺つゆを二倍に割って、そこに砂糖を少々。そのたれをフライパンに注ぐ。火をかけ、煮えてきたら、タマネギをぶったぎったものを投入。これにさらに油揚げを加えると「卵丼・松」になる(学生はちょっとしたことが嬉しい)。タマネギが煮えたら、溶き卵を注いで、蓋をしてしばらくしたら火を止める。もちろん、これを丼にしてかき込む。(タマネギは安いし日持ちもする便利な野菜。蕎麦やうどんを食べるとき、長ネギ代わりにもなる)。

6. 「揚げ焼き」。
油揚げを数枚購入。夕方の閉店間際の豆腐屋なら、4枚50円ぐらいで売っている。揚げを焦げないように注意しながらかりかりに焼く。ざくざく切って、おろし生姜と醤油で食す。これは確か内田百聞が若い頃によく食べていた一品(学生は歴史を学べ)。

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2003.11.19 Wed
あなたは「登り」派、「戻り」派?~鰹について
あなたは「登り」派、「戻り」派?

先週、近所の、美味しい魚を出す飲み屋(葛飾・四ツ木の「とりあへず」)に行ったら、金華山沖で上がったという「極上の」戻り鰹(カツオ)が入ったというので、マスターから進められ、食べてみた。

実にウマイ!

すると、カウンターのお客さん(女性)も、それを頼んだ。

「う~ん、ホント、美味しい!まるで、鰹じゃないみたいね、鮪みたい」。

何だと、『鰹じゃないみたい』とは何事だ!
この鰹は確かに美味しいけど、初夏の登り鰹はもっとおいしいぞ!
それに、『鮪みたい』とは、鰹に対して失礼だぞ!

・・・と心のなかで抗議した。

というわけで、鰹の話は、本当は、初鰹の季節に書きたかったのだが、ネタがないので、今日は、鰹で参ります。

その後、店のお客さんの間で、鰹は、登り(春から夏にかけて暖流に乗って北上する鰹)と戻り(秋から冬にかけて寒流に乗って南下する鰹)のどっちが美味いかということをめぐって小論争になったが、実は、これ、ほとんどが、好みの問題、というか、出身地の問題なので、本当は議論しても仕方がないことなのだ。

日本列島の太平洋側の海辺で育った人は、血の臭いがする登り鰹が好き。
日本海側の人か、関西以西の人は、大抵、脂肪分の多い戻り鰹が好き(つまり、こちら側の人は、鰤(ブリ)が魚の味の指標なのだ)。

大体、そのように、相場が決まっているのである。

私は、断然、初鰹、つまり、登り鰹派である。

鰹の食べ方はいろいろあるけど、結局、てんこ盛りにニンニクをおろしといて、生醤油で刺身をほおばるのが、一番好きだ。

たとえば、(私の育った)銚子の魚市場近くの飲み屋に行って、「かつお!」と頼むと・・・

「ニンニク?、ショウガ?」

とまるで怒っているように、聞かれる。

銚子の人は、漁師町特有の、抑揚の激しい発音で、しかも大声で話すので、普通の会話でも、まるで喧嘩をしているように聞こえるけど、怒っているわけではないので、ご心配なく。

「ニンニク!」と叫ぶと、何の返事もなく、いきなり大皿に鰹の刺身が出てくるんだけど、これがすごい!
東京の刺身みたいにきれいにサクの形に「整列」して出てくるんじゃなくて、皿の上にピラミッドみたいにどかどかと積み上げてあって、そのてっぺんにおろしたニンニクがドカンとのっているのだ(これは、済州島に行ったときセキサバを頼んだら、同じような盛り方なので驚いた)。

これをば、箸で何切れも同時につかんで、小皿に「投げる」ように取って、しかも、ニンニクを、これまた「たたきつける」ようにのせて、醤油(もちろん、銚子産のヤマサかヒゲタ)をどばどばとかけて、大口に放り込んで、頬張るのである。人によっては、傍らに青とうがらしを置いておいて、たまに囓りながら食べる。

もちろん、これを胃に流し込むのは、二級酒(今はないですけど)のコップ酒。

これが、地元の漁師の食べ方なのである。

ことほどさように、太平洋側の海辺で育った者は、刺身と言えば、何が何でも、鰹である。
鰹がない時期でも、鰯、鯵、秋刀魚といった赤身(或いはアオモノ)の刺身が主流。

秋刀魚の刺身など、時期が短いので、なかなかありつけないが、これを食べると、本当に、この世に生まれてよかった!と思うほど、美味しいものである。

それに較べ、日本海側の人は、場所によっては、鰹と言えば、鰹節。
まさか刺身で食べられるとは、思ってもいない人もいるようで、びっくり。

特に、福岡あたりでは、鰹が捕れるにもかかわらず、ほとんど食べないと聞いて、なおさらたまげた。

でも、もっとびっくりするのは、韓国。
赤身の魚は、まず、「絶対」食べない(ただし、最近は、日本人の影響で出す店もある)。
マグロもまず、日本料理店以外では、見向きもされない。
だから、魚の王様は、断然、ヒラメをはじめとする白身の魚。
例えば、韓国の済州島では、ふんだんに鰹が捕れるが、全部、捨てるか、畑の肥料になっているそうだ。
う~ん、北九州と朝鮮は、魚の嗜好に共通点があるように思う。

そう、それから、銚子では、「土佐風のたたき」にはまずしない。「たたき」にはするが、酢を使わないのが大きな違いか。

韓国と日本の食文化の違いということで思い出したが、韓国では、梅の木はたくさんあるにもかかわらず、梅を食する習慣がほとんどなく、梅干しも作らない。これも、不思議である。

韓国で新事業を始めようとする人は、鰹節工場か梅干し工場がいいと思う。
材料費がかからないから・・・。

この話、初鰹の季節になったら、また、蒸し返したいと思う。

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2003.11.18 Tue
モンティーパイソンってご存知ですか?
モンティーパイソンってご存知ですか?

そう、二日前の「日録」でちらっと言及した『卒業』が公開された翌年、つまり1969年からイギリスの国営放送(BBC)で、画期的なギャグ番組を制作放映し、人気を博したコメディアンのグループ(因みに、日本の「ゲバゲバ90分」はそれをパクったもの)。

そのビデオシリーズ(「空飛ぶモンティーパイソン」/一巻につき、4本分の番組を収録)第一巻に収められた「ギャグ爆弾」という作品が特に傑作で大好きです。

今日は、それをご紹介します。
笑い死なないようにご注意!

こんな話・・・、

時は、第二次大戦中。ドイツ軍のロンドン空襲が毎日のように繰り返されるイギリス。

ある日、ロンドンの某ユーモア作家が、世紀の大傑作ギャグを完成させたのだが、書き終わるやその自分で書いたギャクの可笑しさのあまり、作者自身が笑い死んでしまうという「謎の事件」が起こる。

ロンドン警視庁が、作家の変死を調査するのだが、捜査官も、タイプライターに残されたそのギャグを読んで、次から次へと笑い死にしてしまい、捜査は難航を極める。

だが、多くの殉職者を出しながらも、ついに、その真相を突き止めるに至る。

すると、ある警察の幹部が、これは大変な秘密兵器になるというので、陸軍省に進言。
さっそくこのギャグを「兵器化」する作業が始まった。

何人もの翻訳官が、そのギャグをドイツ語に翻訳しようとするのだが、訳している途中で笑い死ぬ犠牲者が続発する。
そこで、結局、一人の翻訳官が一語ずつ訳すことで、ギャグのドイツ語訳をようやく完成した。
(因みに二語以上訳そうとした者は、現在でも入院中だということ)。

ノルマディーの戦場。

ドイツ軍が、激しい攻撃を加えてくる。

そこで、ドイツ語を「解さない」イギリス兵が、大声でそのギャグを棒読みする。
すると、木の上に潜んでいたドイツ兵が、笑いながら、ばたばたと落ちてくる。
こういう戦術で、至る所でドイツ軍を撃破していく。

焦ったドイツ軍も、負けじと自家製「ギャグ爆弾」を開発しようとするのだが、ドイツ人にはユーモアのセンスがないので、全然効力を発揮せず、ついに終戦を迎える。

さてそのギャグは、あまりにも危険な兵器なので、使用が禁止され、イギリス南部の平原に埋められることとなり、結局、我々には、知る由もないのである。(完)

モンティーパイソンは、なんと日本のNHKに当たるBBC(国営放送)の番組の中で、次々とタブーをうち破っていった。
たとえば、英皇室を揶揄したり、障害者にまつわる今ではとても放映できないようなエピソードを描いたり・・・。
モンティーパイソンもすごいけど、放映したBBCも大したものである。

後のミスター・ビーンの作品もそうだけど、イギリス人には、権威や世間の決まり事に対する、平衡感覚のあるユーモア精神があるような気がする。

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2003.11.17 Mon
餃子とエリオット
学生時代の終わり頃。
もう20年も前の事だろうか。

何だか、都心(高円寺)の生活に疲れて、本八幡(千葉県)の真間川沿いの、その昔、永井荷風が住んでいた所の近くに、庭付きの一軒家(二階建て)を借りた。
家賃は、確か、4万ぐらいだったと思う。
築35年ぐらいのぼろやで、トイレはくみ取り式だし、隙間だらけで冬はめちゃくちゃに寒かったけど、とにかく広いし、庭があったので、大変に気に入った。
モモという猫を飼っていた。

庭があるので嬉しくて、二十日大根やらほうれん草の種を買ってきて、貧乏を凌ごうとしたが、全然育たない。
後で分かったことだが、大家さんが定期的に除草剤を撒いていたのだ。

さて、その家で、春から秋にかけて、ほぼ毎月、友達を20人ぐらい呼んで、「餃子パーティ」をよくやった。

僕の餃子は、ニンニクをかなり大量に入れること、老酒を入れること、玉葱を入れることだけがやや変わっていて、皮も市販のものを使って作るのだが、これが友達にすごい人気で、次第にパーティとして、ほぼ、定例化していった。
「餃子パーティ」の日は、先発隊が早めにやってきて、買い出しと餃子作りに取りかかる。
何せその数がものすごい。だいたい500個ぐらいは、ぺろりだからだ。

「餃子パーティ」に必ず並ぶもう一品は、鰹のたたき。これも、やや遠くの魚屋まで出かけていって、銀皮付きのを買ってきて、炙って作るわけだ。僕の鰹のたたきで、普通と違うのは、酢を一切使わないこと(銚子風)。

こうして餃子と鰹のたたきで、乾杯するわけだ。

問題は、次の日。

授業にやって来た先生が、「おいっ、ニンニク臭いぞ!どうした?餃子食べたか?」とみんなの顔をのぞき込む。われわれは、ただ、にやにやしていた。

何しろ、餃子には大量のニンニクが入っているし、鰹のたたきは、ニンニクのスライスを添えて、しかもニンニク醤油で食べるのだから、翌々日ぐらいまで、授業をやる研究室は、ニンニクの香りが漂っているわけだ。

現代詩の先生(T・S・エリオットがご専門)は、特にニンニクが嫌いなので、初鰹の出始める春になり、餃子パーティの頃になると、教室がねんがらニンニク臭くて、まことにもって、先生にとっては、「4月は残酷な季節」(注)だったにちがいない。

(注)
四月はいちばん残酷な月
死の大地からライラックを育て
記憶と欲望を混ぜ合わせ
春の雨で鈍い根を掻き立てる
(T.S.エリオット『荒れ地(The Waste Land)』)

思い出    Comment(0)   TrackBack(0)   Top↑

2003.11.16 Sun
静寂なる音
どうだろう。
人間、本当に辛い時に、どんな歌を聴くものだろうか。
皆さんは、いかがだろうか?
私の場合、ひどく落ち込んでいるとき、たとえば、What a wonderful world!やYou've got a friendは、辛くて聴けないというよりは、空々しくて聴けなかったように覚えている。
心の地獄域を彷徨っているときは、懊悩する自分の状態を含めてWhat a wonderful world!なのだと思うことは、まあ、到底不可能だし、You've got a friendにあるように、名前を呼ぶだけで飛んできてくれる友達なぞ、現実には、そうそういるわけもないし、むしろ、いないからこそ、苦しいということなのではないだろうか。
そういう歌は、ある意味で、心に余裕がないと共鳴できない類の、「幸せ者の歌」なのかもしれない。
そんな中、心の地獄を味わっているときに、意外な歌が、案外慰めになることに気づいたことがある。
それは、あの有名な、サイモンとガーファンクルのSound of Silenceである。
今それをじっくり聴いて、歌詞を読み、下手くそながら、訳出してみた(もちろん、この訳詞では歌えません)。

静寂なる音

暗闇よ、わが友よ、
またやって来たよ、君と話をするために・・・
夢の中で、ある幻影が、そっと忍び寄ってきて、
その種を宿していったから。
脳に植え込まれたその幻影は、
今なお、静寂の音の中に残っているから。

うなされる夢の中、独り歩いていた。
敷石の細い路地、寂しく光の輪を作る街灯の下を。
寒さに襟をたてて。
すると突然、ネオンの閃光が私の眼を突き刺し、
闇夜を切り裂き、
静寂の音に触れたのだ。

まばゆいネオンの光の中、
夥しい群衆の姿が浮かび上がった。
ところが、その人々ときたら、
何かを話しているのだが、何も話しておらず、
何かを聴いているのだが、何も聴いておらず、
誰も歌うことのない歌を作っている。
しかも、誰も、静寂の音を乱そうとはしなかった。

私は叫んだ。
「愚か者たちよ!
静寂が、癌のように増殖していることを、
お前たちは知らないのだ。
私の言葉を聞け!私の腕を取れ!」と。
しかし、私の言葉は、静かに滴る雨だれのように、
静寂の井戸の中に落ち、木霊するだけだった。

人々は、自分たちの拵えたネオンの神の前で、
跪き祈っていた。
文字を象ったネオンサインは、一つの戒めを発していた。
その戒めはこうだった。
「予言者の言葉、書かれたり。
地下道の壁に、
スラム街のアパートに。
そして、静寂の音の中に呟かれるものなり」と。

この歌は、映画『卒業』の中で効果的に使われていたことは、周知のことであるが、実はあの映画、最近見直して、大変な傑作だということに気づいた。

しかし、今日は疲れたので、それはまたの機会に書くことにしよう。

(原文)

Hello darkness, my old friend
I've come to talk with you again
Because a vision softly creeping
Left its seeds while I was sleeping
And the vision that was planted in my brain
Still remains
Within the sound of silence

In restless dreams I walked alone
Narrow streets of cobblestone
'Neath the halo of a street lamp
I turned my collar to the cold and damp
When my eyes were stabbed by the flash of a neon light
That split the night
And touched the sound of silence

And in the naked light I saw
Ten thousand people, maybe more
People talking without speaking
People hearing without listening
People writing songs that voices never share
And no one dared
Disturb the sound of silence

"Fools" said I , "You do not know
Silence like a cancer grows
Hear my words that I might teach you
Take my arms that I might reach you."
But my words like silent raindrops fell
And echoed
In the wells of silence

And the people bowed and prayed
To the neon god they made
And the sign flashed out its warning
In the words that it was forming
And the sigh said, "The words of the prophets
Are written on the subway walls
And tenement halls"
And whisper'd in the sound of silence

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2003.11.15 Sat
断腸亭日録
断腸亭日録。

もちろん、永井荷風の『断腸亭日乗』から拝借したタイトルである。

HPのタイトル「一丁目の夕日」というのは、最近越した私の住まいが、葛飾区堀切一丁目にあり、部屋から素晴らしい夕日が望めるという、ただそれだけのことである。
ただ、朝夕は、日によっては、遠くに富士山が見えることもある(写真は、越してきた日に携帯で撮影した夕日の中の富士。一富士、二鷹、三茄子というが、その後、悪いことはあっても、よいことはない)。

こうして、HPを作りはじめてみたものの、全然コンテンツが思い浮かばず、とりあえず、始めてみようということ。
ただ、頭の中を渦巻いているキーワードは、下町、映画、歌、文学、酒、食い物、恋などである。

このページ「日録」は、一応、日記の体裁をとっているが、毎日書き継げるほど、エキサイティングな日常を送れるはずもなく、結局、そうしたキーワードをめぐる独り言風な随想のようなものになるだろう。

暇で暇で仕方がないときに、たまに覗いていただければ幸いです。

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