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日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2011.02.10 Thu
上野戦争と黒門~新リュックを購入
北西の風強し。
今日もフジクロスに乗って出勤。

ただ、今日は、ちょっと嬉しい。
なぜかといえば、新しいリュックを買ったから。
新しい学用品を買うと、学校に行くのが嬉しいのは、子供の頃と同じである・・・。

これまで、私が使ってきたリュックは、主として2つ。
1.ドイター社製の「スーパーバイク」
2.柴又の縁日で買った、得体の知れない1000円のデイパック。

1は、14+4リッターで950グラム。荷物の多いときや雨の日の通勤、そして長旅に出るときに使用(レインカバー付)。
2は、10リッターで400グラムぐらい。荷物の少ない時に使用。

1は、収納量も多いし、レインカバーなども付いていて便利なのだが、本体が重いので、時として、鶏を割くに牛刀を用いるようなことになる。
2は、小さめで使い勝手が良かったのだが、ついにところどころ綻(ほころ)びが出てきて、いつ壊れるかもしれない。

そういうわけで、今回、2に替わる物を購入したというわけである。


(ドイター社製バックパック「スピードライト10」)

容量は10リッターで、重量は300グラム。
さて、どんな使い心地であろうか・・・。

いつものルートで隅田川筋に出る。
枕橋付近でトイレ休憩。

IMG_0106_20110210174928.jpg
(枕橋から北十間川を眺める)

舟が浮かんでいると、なかなか風情があってよい。

IMG_0107_20110210175054.jpg
(東武線の柱。蔦が絡まって時代を感じさせる)

駿河台の職場に到着。

業務が済んだので、久しぶりに駿河台で遅めの昼めしを食べていくことにする。
そして、これまた久しぶりの「天丼 いもや」に行ってみるが、まだ順番待ちの列ができていたので、近くのラーメン屋「伊峡」で半チャンラーメン(630円)を食べる。
スープの味は変わらないが、麺が変わったかなぁ・・・。
それにしても、このラーメン屋、私が学生の時からまったく店構えを変えていない。
たぶん、創業40年以上にはなるだろう。

IMG_0108_20110210204014.jpg
(お茶の水の学生たちから長らく愛されている中華そばの「伊峡」)

腹が一杯になってちょっと眠たくなったので、近くの錦華公園で一服。
この公園の一角には、現在でも「お茶の水小学校」があるが、その前身は、錦華小学校で、夏目漱石が学んだ学校として名高い。

IMG_0109_20110210205253.jpg
錦華公園

眠気が覚めてきたので、帰路に着くことにする。
不忍通りを北上して、上野公園に出る。
広小路口の方から園内に入る。

IMG_0110_20110210210516.jpg
(上野公園広小路口)

この写真とほぼ同じアングルで、広重が絵を描いている。

上野山した
(広重「上野山した」)

うっとりするような春の光景である。
広重がこの絵を描いた頃は、平和で穏やかな上野公園だったが、幕末1868年新暦7月4日、まさにこの場所にて、血で血を洗うような激戦が繰り広げられた。
戊辰の内戦に於ける「上野戦争」である。

上野の山に陣取るは、佐幕派の彰義隊(東軍)。
それを攻略せんとする西軍先陣隊の指揮官は、西郷隆盛だった。
この彰義隊と西郷隆盛の皮肉な因縁については、過去のブログにも書いたのでここでは割愛する。

1868年7月4日。
その日は、梅雨の時季で朝から雨が降りしきっていたという。
両軍が寛永寺(現在の上野公園のほぼ全体を寺域とした)の総門にあたる、通称「黒門」で激突した。

その模様を描いた絵を発見したので、ここに貼っておこう。

東台大戦争図
(「東台大戦争図」)

黒い門(「黒門」)を境にして、左側が現在の公園内で、右側が広小路側。
右から左へ西軍が攻め込んでいるところ。

ここにもう一枚、当日の戦闘の模様を描いた絵がある。

東叡山黒門
(東叡山黒門。向かって左が広小路側)

先の絵より前段階の戦闘の模様を描いている。
左奥には、不忍池も見える。
黒門の前の堀(および三枚橋)は、現在は埋め立てられてしまってもはや存在しない。

黒門がどのあたりに建っていたのか、正確な場所は、私には特定できないが、たぶん、次の写真のあたりであったろう。

IMG_0111_20110210213748.jpg
(黒門があったと思われるあたり。この写真の左奥あたりか)

黒門が落ちるや、本郷台からの砲撃もあいまって、彰義隊側(東軍)は総崩れになり、奥州街道筋に敗走した。

上野公園広小路口に佇んでそんなことに思いを馳せていたら、実物の「黒門」が見たくなった。
そうなのだ。
かつてここに建っていた「黒門」は、奇跡的にも現存しているのである。

「黒門」はその後、帝国博物館の管轄するところとなったが、1907(明治40)年に、三ノ輪(南千住)の「円通寺」(地図)に移築され、現在は、誰でも見ることができる。

ちょうど、千住経由で帰宅するルート上にあるので、さっそく行ってみることにする。

IMG_0115_20110212042314.jpg
(国道4号線沿いにある「円通寺」正面。左奥に黒門が見える)

この寺、今となっては、堂宇などには見るべきものはないが、この黒門を見るために行く価値はある。

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(「黒門」)

IMG_0119_20110212042630.jpg
(当時の弾痕が無数に残っている)

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(「黒門」の弾痕。たぶん、薩摩兵が放った銃弾の痕。当時の鉄砲は、口径が大きかったので弾痕径も大きい。)

この「黒門」の内側には、「彰義隊士の墓」があり、今でも彰義隊士たちは黒門を前にして戦っているようである。

IMG_0122_20110212043100.jpg
(「黒門」の内側にある「彰義隊士の墓」)

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(「彰義隊士の墓」の説明板)

IMG_0126_20110212044359.jpg
(「黒門」と「彰義隊士の墓」の全体像)

こうして私は、千住大橋(隅田川)と千住新橋(荒川)を渡って、帰路に着いたのであった。

そうそう、新しいリュック、背中にきちんとフィットして、なかなかいい感じ。
何よりも、軽量なのがよい。
でも、リュックの真価は、夏場に使ってみないと分からないのだが・・・。

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(ベンチの上のリュック。途中で購入した文庫本10冊と画集1冊が収まっている。荒川河川敷にて)

走行距離:40キロ(フジクロス)

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Comment
矢張り懐かしい Posted by 相子
お髭先生  職場の近くの様子 懐かしいです。伊峡ってまだ健在なんですね。
いもやは慌しくて女性は時間を外さないと駄目でした。
錦華公園の池や坂も懐かしい風景です。有難うございました。
2011.02.12 Sat 09:54 URL [ Edit ]
消えゆく食堂たち Posted by 断腸亭
相子さん

あのあたりの街区の雰囲気はあまり変わっていませんが、店はずいぶん変わりました。

道を挟んでもう一軒あった「伊峡」はとうになくなりました。
また、トンカツと天ぷらの「いもや」もなくなってしまいました。

喫茶「ハトヤ」はずいぶん前に消えましたが、サラファン、アミ、トンカツの「駿河」などは健在です。

今日は、採点の合間に久しぶりにロシア料理の「サラファン」に行きました。
やはり、あそこのボルシチは美味しかったです。
2011.02.13 Sun 06:37 URL [ Edit ]

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