日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
映画の日々 | エッセイ | 思い出 | 身辺雑記 | 日録 |  | 自転車 |  | 小さな旅(自転車) | 小さな旅 | 旅(自転車) | 未分類 | 
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
Powered By FC2ブログ
断腸亭日録
≪2009.10  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30  2009.12≫
プロフィール

higedancho

Author:higedancho
断腸亭髭爺です。
自転車関係の日記が多いです。
よろしく。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
FC2カウンター
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
ブロとも申請フォーム
フリーエリア
2009.11.21 Sat
迷宮体験〜「八か村落し親水緑道」の末路
私の住む葛飾区は、東京都の北東の端っこにある。
しかも、私の住む水元は、その葛飾区の中でも、北東の一番端っこにある。
北は埼玉県、東は千葉県と接している。

因みに、私の故郷である銚子は、江戸時代の歌人古帳庵をして、こう詠ましめた

ほととぎす 銚子は国の とっぱずれ 

だからなのか、私にとって、生来、端っこは居心地がよいのかもしれない。

それはさておいて、葛飾区には、江戸川、中川、荒川という比較的大きな川がほぼ南北に流れている。
なので、自転車で南北方向に移動するときは、これらの川筋を走ればよいので至極便利である。
自転車は、川筋の道、ないしは、川筋と平行して通る道を走るのに適した乗り物だからである。

ところが、こうした地理的傾向(高低差)から、葛飾区周辺には、東西に流れる河川が少ないので、東西に移動しようと思うと、途端に難儀する場合が多い。

たとえば、以前、石神井公園(練馬区)に用事があって、自転車で出かけたことがある。
何と言っても一番簡単で早いのは、飯塚橋(中川)を渡って、大谷田陸橋から環七をず〜っと西進することなのだが、いかんせん、環七という道路は、自転車にとっては、たぶん、日本で一番走りにくい地獄道なのではないか。

クルマの交通量は、四六時中、殺人的に多いし、路肩も狭い。
しかも、足立区内の環七は、何本もの鉄道を飛び越えるために陸橋が架かっているのだが、そのいくつかは自転車通行禁止なので、自転車を押して歩道を上がったり下がったり、でなければ、踏切を探して迂回したりしなければならない。

だから、私は、多少大回りにはなるが、中川橋を渡って、亀有から旧水戸街道を西進して小菅付近に出て、そこから荒川筋に出る経路を長らく使ってきたが、これとて、走っていてあまり楽しい道ではない。
結構交通量も多いので、クルマに追い立てられている感じがつきまとう。

そこで、今日は、飯塚橋から小菅・梅田付近への、走っていて楽しい抜け道を探しに出かけた。
くねくねの路地を走ることを予想して、クロスバイクに乗って出発。

飯塚橋(葛飾から足立へ)を渡って、中川公園外周を縁取るように付いている遊歩道沿いに時計回りに回り込むと、環七にぶつかる。

環七を渡って、「中川緑道」という看板のある道を西に入ると、こんな立派な看板が建っていた。

IMG_3334.jpg
(「八か村落し親水緑道」の地図)

八か村落し親水緑道」というのは、これまでにもたまに地図などで目にしたことはあったのだが、このように体系的に示された地図を見たのは初めてで、頭の中がすっきりした感じがした。

「八か村落し親水緑道」は、「八ヶ村落堀」という江戸時代に掘られた用水路を緑道化整備したもので、上の地図によると、十字に交差するような形をしているらしい。
しかも、南北に流れる方の水路は、葛西用水の東を平行して流れている。

私は、東西に延びる緑道を西進してみることにした。

だが、緑道らしいのはほんの数十メートルで、すぐに葛西用水とぶつかって、クルマも走れる普通の一般道になってしまう。

IMG_3335.jpg
(横切るチャコール色の道路が「八か村落し親水緑道」。正面が「葛西用水」)

ここからさらに行くと、完全な一般道になってしまうけど、道の南側には、細い水路がついていた。

IMG_3337.jpg
(一般道としての「緑道」には細い水路がついている)

また、路傍には、こんな説明板がある。

IMG_3336.jpg
(「八か村落し親水緑道」の説明板と地図・右奥に見える並木道は葛西用水)

金属板に描かれた地図は、実に詳細なものであるが、小さくて見にくい。
目をこらしてよく見ると、この「緑道」をずっと西進すれば、小菅付近に出るようである。

とにかくまっすぐ走ってみようと道なりに走っていって、交差する道を渡ると、クルマ止めが現れて、道は突然細くなって、歩道になっていまう。

IMG_3340.jpg
(突然、歩道になってしまった「緑道」)

おお、これはこれでいい感じだなあと思いながらちょっとだけ進んでいくと、急に趣のある道になる。

IMG_3341.jpg
(趣のある道になる)

ところが、この道は、そのまま大きめの児童公園に吸い込まれて、姿を消してしまったではないか。

IMG_3342.jpg
(「緑道」は、公園の池となって消滅)

あたりに何か、案内板らしきものはないかと探してみたが、見つからないので、公園の脇に東西にまっすぐついている道を、とにかく西進してみることにした。

すると、細長い公園と交差した。
そうか、「東綾瀬公園」だな。
この公園には、別のルートで何回も来たことがあったので、すぐに分かった。
同時に、今どのあたりにいるのかも分かって、ちょっと嬉しい。

IMG_3343.jpg
(交差した「東綾瀬公園」)

さらに、西へと走り続けると、またしても、「東綾瀬公園」と交差した。
そうなのだ、この公園は、U字型をしているので、東西に突っ切ると、2度は交差することになるので、珍現象ではない。

IMG_3344.jpg
(2度目に交差した「東綾瀬公園」)

しかし、この2度目の交差の後、道は、職業訓練所の敷地にぶつかって消滅してしまった。

もはや、この時点で、いったい自分が「八か村落し親水緑道」の跡を進んできたのかどうかさえ怪しくなってきて、とにかく、方位磁石を手がかりに西へ西へと走るしかなくなった。

道が途絶する度に、違う道に乗り換えて、とにかく西へ進むと、目の前に堤防と橋が現れたので、その橋を渡る。
案の定、綾瀬川であった。

IMG_3345.jpg
(綾瀬川を渡る)

綾瀬川は、もっと南に行くと、荒川(放水路)と並んで流れるようになるが、このあたりでは、「一人ぼっち」で流れている。

まあ、このまま西へ走れば、いつかは荒川と逢着するはずだと、さらに西へ進む。
この時点で、既に「緑道」追跡のことは完全に忘れていた。

しかし、この後が大変だった。
行く道行く道がぶつぶつと途切れ、袋小路だらけ。
梅田(足立区)付近の迷路地帯に迷い込んで、あっちに行ったり、こっちに行ったり。
梅田の住宅街界隈は、世田谷や、市川の真間や、葛飾の堀切や四つ木の住宅街に匹敵するラビリンス(迷宮)で、方位磁石がなければ、簡単には抜け出すことができないであろう。

やっとのことで、迷路を抜け出して、荒川の土手らしきものが見えてきた時には、本当にホッとした。
土手を上がって、いったいどのあたりかを確認すると、西新井橋付近で、友人のびんなんさんが住んでいる近くだった。

IMG_3346.jpg
(荒川土手・「西新井橋」付近)

びんなんさんの家を訪ねてみようかとも思ったが、あまりに突然の訪問は憚られたし、昼までには家に戻りたかったので、そのまま荒川サイクリングロード(左岸)→堀切橋経由で、いったん帰宅することにした。

やれやれという感じで、帰宅して、すぐに、呑ちゃんと一緒に水元公園に繰り出す。
水元公園は、晩秋の気配を強めて、紅葉している木々もあった。

IMG_3347.jpg
(水元公園の紅葉)

IMG_3348.jpg
(水元公園水辺)

水辺を散策していると、釣りをしているオジサンがいたので、話をする。
今日は、あまり釣果があがっていないとのこと。
バケツの小魚を掌(て)で掬い上げて、子どものように嬉しそうに見せてくれた。

IMG_3351.jpg
(釣果の小魚)

これらの魚や小エビは、食べるのではなくて、家の水槽で飼うのだという。
食いしん坊の私は、ちょっとモッタイナイなあと思ったりする。

空腹が極限まで達したので、洋食屋の「NAKAMURA」(水元)で昼食。
私は、魚介類のフライを食べた。

IMG_3353.jpg
(洋風料理「NAKAMURA」)

その後、私は、一人で、水元公園・三郷公園を周遊して、やっとすっきりした気持ちで帰ることができた。

IMG_3355.jpg
(水元公園・晩秋の林)

走行距離:44キロ(新クロスバイク)

小さな旅(自転車)    Comment(1)   TrackBack(0)   Top↑

2009.11.20 Fri
「四つ木めだかの小道」
昨日と打って変わって、素晴らしい晴天となった。
夕べは、豚の五臓六腑を食したお陰か、元気がほとばしり出そうな気分である。

駿河台の職場に行く途中、今日は、いくつかの用事をこなさなければならないので、やや早めに出る。

中川経由で青戸の不動産屋→平和橋通りを走って、堀切へ。
堀切から平和橋通りを戻って、本田広小路交差点から四ツ木橋に上がる。

四ツ木橋東詰下の、以前から気になっていた「四つ木めだかの小道」(葛飾区四つ木)を見てみることにした。

IMG_3329.jpg
(「四つ木めだかの小道」)

「四つ木めだかの小道」というのは、南北に流れる葛西用水路の、葛飾区に於ける南端の部分で、国道6号線とぶつかって消滅した「曳舟川親水公園」の続きである。
上記写真の箇所から200メートルほど南で、綾瀬川に流れ落ちて、いったんは、葛西用水そのものも消滅する。
ただし、古(いにしえ)の葛西用水は、荒川(放水路)の向こうまで流れていて、曳舟川として、さらに墨田区を南に流れて、北十間川に落ちていたのだ。

さて、「四つ木めだかの小道」。
その名の通り、本当にメダカがいるのかどうか、流れの中を見つめてみたが、確認できなかった。

そうそう、四つ木橋(国道6号線)は、近々、補修工事が始まるようだ。

IMG_3330.jpg
(四つ木橋の工事の告知板)

駿河台の職場で仕事を片づけると、あたりはもう暗くなっていた。

隅田川の夜景は、肉眼だと素晴らしいのだが、私の安物デジカメだと、どうもうまく写し取ってくれいないのが残念である。

IMG_3331.jpg
(隅田川夜景・吾妻橋を左岸より臨む)

走行距離:47キロ(新クロスバイク)

小さな旅(自転車)    Comment(2)   TrackBack(0)   Top↑

2009.11.19 Thu
作戦名:「レバ刺」成就せり〜金町「大力」
その作戦は、秘密裡に、深く潜行して実行された。

きっかけは、去年私が書いた「日記」
金町の「大力酒蔵」で出す豚レバ刺がウマイという話を聞きつけた数名が、虎視眈々と、この機が熟すのを待っていたのである。

そしてやっと、昨夕、その計画(作戦名「レバ刺」)は決行された。

今後の作戦に支障を来す恐れがあるので、メンバーの名前は、すべて暗号名としておこう。
しゃあさん、たすけさん103さんと私。

4人は、金町駅改札に集合して、コートの襟立てて人目をしのぶようにして、そそくさと店に向かった。
かなりの人気店にて、席が空いていなければ作戦の変更も余儀なくされてしまう・・・。

寒い雨の夜だったことが幸いしてか、お見事、狙いすましたように、4人テーブルが空いていた。
さっそく店に押し入って、ボールと、レバ刺し、ハラミ刺(ユッケのようなもの)を注文。

IMG_3326.jpg
(やっぱり、最初のターゲットはこれ。豚レバ刺)

その後、焼き物も注文。

IMG_3327.jpg
(モツ焼き)

お腹が落ち着いて来ると、4人の間で、激しい会話のやりとりが行われた。
20ミリ機関砲のようにしゃべるしゃあさん(しかし、時として、しゃあさんには十字砲火が浴びせられた)。
サブマシンガンのようなさすけさん。
スナイパーライフルのような103さん。
私は、差詰め、爆竹か。
モツ焼きからあがるもうもうたる「硝煙」が潤滑油になって談論風発に火がついたのであった。

その後、「たすけ」さんの名に因んで、居酒屋「太助」で反省会をした。

次の作戦でも共謀すること約して、金町駅で別れる。
実に楽しいレバ刺の夕べであった。

PB190033.jpg
(作戦の成就に欣喜雀躍するメンバー)

走行距離:3キロ(ママチャリ)

   Comment(12)   TrackBack(0)   Top↑

2009.11.18 Wed
自転車通勤本格再開〜事故後の快復状況
始業前に、職場(今日は杉並区の方)でやらなければならないことが山ほどあったので、夜明け前に出発することにした(新クロスバイク)。

秋冬用のレーパンに、長袖のジャージーを着て暗闇の中を走り始める。
自転車で走るとき、初めはちょっと寒いぐらいがちょうど良い。
20分もペダルを漕いでいると、だんだん身体が温まってきて、汗ばんでくるからだ。

ただ、去年もそうだったけど、冬に向かう季節には、その「ちょっと寒いぐらい」というのが、いったいどのぐらいの「塩梅」なのか忘れてしまって、結局、寒くて仕方がないので、四ツ木橋で、リュックからウインドブレーカー(防風衣)を取り出して着込む。

IMG_3320.jpg
(夜明け前の四ツ木橋・国道6号線)

夜中、雨が降っていたようで、路面はじっとりと濡れていて、滑らないように注意して走る。
早朝だというのに、今朝はクルマの量が多いように感じた。

腹が減ったので、向島の100円ローソンでおにぎりとサンドイッチを買うが、まだ真っ暗だし、ベンチもびしゃびしゃなので、隅田川の土手で食べるのはやめて、少し明るくなってから食べることにする。

浅草橋を過ぎたあたりで、夜が白みはじめる。
白山通りから平河門に出て、江戸城趾の堀端で朝食とする。
温かい飲み物が恋しいなあ。

IMG_3321.jpg
(平河門を臨む小公園で朝食)

内堀通りから新宿通り(甲州街道)を走って、職場に到着。
しかし、時間が早すぎたのか、まだ門が閉まっている。
守衛さんに声をかけて、開けてもらう。

ヘルメット・レーパン・ジャージ姿の私を見て、守衛さんは、「いったい、あんたは何者ですか」という、いかにも誰何(すいか)した気な顔をしている。
メガネをはずしてヘルメットを脱ぐと、やっと私の面(メン)を認識したようで、笑顔で対応してくれた。

昼下がり。
仕事もすっかりすんで、自転車に跨る。
心がはずむようである。

事故に遭って以来、駿河台の職場(片道17キロ)へは自転車通勤を再開していたが、ここ杉並の職場は片道30キロあるし、都心を抜ける幹線道路を走るのが、事故後の恐怖症もあって恐ろしく感じたので、ずっと控えていた。
でも、鉄道で通勤すると、特に帰りが嫌で、また電車に乗るのかよ、と思うとうんざりしてしまう・・・。

事故後、ほぼ3週間、ほとんど自転車には乗らなかった。
そして、自転車を再開して、約2週間が経過した。

明らかに筋力は低下していたが、心肺力は、思ったより低下していなかったのは不思議だった。
今では筋力も大分快復したが、最初のうちは、傷ついた箇所をいたわりながら走っていたせいか、関係のない箇所の筋肉が痛くなったりしたが、この1週間、やっとそういうこともなくなった。
でも、事故による恐怖症は未だに完全には払拭できていないような気がする・・・。

食いはぐれた昼食を、途中、神田の立ち食い蕎麦屋(「小諸そば」)で済ます。
靖国通りから蔵前橋通りに出る。
やっぱり、今日はクルマが多いような気がする。

墨田区に入るとほっとする。
駿河台(もしくは本郷台)より東は、坂もなく、なだらかで、しかも、どことなくのんびりとした雰囲気がある。
もちろん、走り慣れているということもあるだろう。

隅田川土手で一休み。
缶コーヒーを飲む。

IMG_3323.jpg
(隅田川土手で休憩)

遊覧船が、のんびりと川を下って行く。

IMG_3324.jpg
(隅田川の遊覧船)

再び自転車に乗れるようになったことの幸せをつくづくと感じる。

国道6号線から、今日も、曳舟川親水公園沿いの道を走る。
こんな看板を見つける。

IMG_3299.jpg
(曳舟川の説明板)

こんな小舟で通勤できたらどんなに楽しいだろうかなどいう、途方もないことを考える。
さて、帰るかなと自転車に跨ろうとしたら、落ち葉が一枚、サドル上に舞い降りていた。

走行距離:62キロ(クロスバイク+ママチャリ)

小さな旅(自転車)    Comment(8)   TrackBack(0)   Top↑

2009.11.16 Mon
激安250円弁当のその後
曇り時々晴れ。
今日は、やや早めに出発(新クロスバイク)。

というのも、長らく忘れていた墨堤通りの激安250円弁当のことが気になったからだ。
日記を読み返すに、最後に食べたのは、6月30日で、もう4ヶ月以上のご無沙汰である。

私が買いに行かなくなったため潰れていやしまいかなどと、そこはかとなく不安になってきたので、久々に250円弁当を買って、隅田川秋景を楽しみながら食べることにした。

最近は、青戸・立石経由が多かったので、今日は、亀有・曳舟川経由で行くことに。

中川橋から旧水戸街道。
旧水戸街道沿いに、こんな標識柱を見つけたので、写真に収める。
ちょうど、昨日行った「吟八亭 やざ和 」の真ん前である。

IMG_3315.jpg
(「旧水戸街道 亀有上宿」の標識柱)

「上宿」があったということは、中宿や下宿もあったに違いないなどと、いつもなら詮索しはじめるのだが、今日は250円弁当のことで頭が一杯で、それどころではなかった。

左折して、葛西用水路(曳舟川)跡の道に出る。
ちょっと公衆便所に寄ったついでに、昔の風情を残して(再現して)いる場所の写真を撮る。

IMG_3300.jpg
(曳舟川親水公園の流れ)

ついでに、古寂びた公衆便所の写真も撮る。

IMG_3298.jpg
(曳舟川親水公園の便所)

ふと見ると、公衆便所脇の休憩所がフェンスに囲まれて、閉鎖されていた。
盛夏の頃は、日陰を作って涼しくて気持ちの良い場所なのだが、改修工事でもするのだろうかと思ってよく見てみると、以下のような掲示がなされていた。

IMG_3295.jpg
(「閉鎖」を伝える看板)

おい、葛飾区よ、ちょっと了見が狭くないかい。
どこで寝ようと、いいじゃないか。
フーテンの寅が聞いたら怒るよ。

四ツ木橋を渡って、国道6号線をかっ飛ばし、墨堤通りの激安250円弁当店に辿り着く。
よかったぁ!
健在である。
弁当を買う人の列までできている。
私は、端(はな)っから、ハンバーグ弁当と心に決めていたが、売り切れてしまっていたので、「チキンカツ弁当」にする。

弁当をハンドルにぶら下げて、隅田川土手の、以前の定位置のベンチに腰を降ろす。
自転車は、背後の首都高高架の柱に立てかけた。

IMG_3319.jpg
(首都高高架の柱に立てかけられた新クロスバイク)

そうだ、先日、事故でご臨終となった先代のフジクロスも、この同じ場所に立てかけて、よく弁当を食ったっけ・・・。
思えば、かわいそうなことをしたものだ。
私の代わりに死んだようなものだよな・・・。

IMG_2139_20091117163026.jpg
(同じ場所に佇む、ありし日の先代フジクロスの遺影)

畳と自転車は新しいに限ると言うけれど、オレは、お前のことを一生忘れないぞ。
私は、線香の一本でもあげたいような気分であったが、チキンカツ弁当を早く食べたくて、その時はただ、「目の前にあった幸せにすがりついてしまった」(「22才の別れ」)のである。

さて、久々の250円弁当。
どんな進化を遂げているであろうか。

IMG_3317.jpg
(燦然と姿を現したチキンカツ弁当)

なるほど、おぬし、そう来たか!
確実に進化している!
以前は、左上の、マカロニが占めていた場所に、切り干し大根が鎮座して居るではないか。
これは、劇的なる健康志向への転換だと言っても過言ではないっ、ような気がしないでもない。
すごいことである。

私は、一心不乱に弁当を完食する。

食べ終わってから、やっと景色を見る余裕ができた。

IMG_3318.jpg
(晩秋の隅田川と桜橋)

食後の缶コーヒーを飲んで、私は、紅葉の如き朱色の吾妻橋を渡って、職場に向かったのであった。

走行距離:35キロ(新クロスバイク)

小さな旅(自転車)    Comment(8)   TrackBack(0)   Top↑

2009.11.15 Sun
秋晴れの休日〜荒川河口域・亀有の蕎麦
このところ悪天が続いたので、自転車に乗りたくてうずうずしていた。
秋空のもと、水平線を目指して、ペダルを漕ぎ出した(ロードバイク)。

水元公園から江戸川サイクリングロード西岸(右岸)へ。
休日は、人出(散歩者+自転車)が多いのでなるべくサイクリングロードは避けるようにしているが、今日は、川にせよ、海にせよ、存分に水辺を見ながら走りたい気分。

江戸川をず〜っと下って、葛西臨海公園へ。
この公園、何回来てもどうも好きになれない。
あまりに人工的な匂いがするからか(お台場も同様な理由で苦手)。

それでも、臨海公園から荒川河口付近に出るサイクリングロードからの風景は素晴らしい。

IMG_3302.jpg
(葛西臨海公園から海を臨む)

ちょうど、南の空から陽光を受けて、海面(みなも)が光っていた。

IMG_3304.jpg
(光る海)

荒川サイクリングロードから、清砂大橋(江東区と江戸川区を結ぶ橋)を渡る。

この橋、橋桁がすごく高いので、自転車や徒歩で渡るのはちょっと大変かもしれないけど、橋桁が高い分だけ、眺望も良い。

IMG_3308.jpg
(清砂大橋・こういう構造の橋は、青空とのコントラストが素晴らしい)

橋の真ん中あたりで海方向を眺めると、壮大な荒川河口域が光を帯びている。

IMG_3307.jpg
(荒川河口域・前方の橋は、「荒川河口橋」と「京葉線」)

江東区側(西岸)に渡って、清砂大橋を仰ぎ見る。

IMG_3309.jpg
(清砂大橋・その向こう隣に見える鉄橋は、地下鉄東西線)

昼までには帰って、呑ちゃんと昼食を食べたいので、荒川を遡って、四ツ木橋→葛西用水(曳舟通り)→中川橋で、一端、帰宅。

水元のお気に入りのフランス料理店(「NAKAMURA」)でランチを食べようということになったが、念のため電話してみたら、満席にて入れそうになかったので、ここで方針はガラッと180度転回して、蕎麦を食べに行くことに。

自転車(6速ママチャリ)に乗って、亀有の「吟八亭 やざ和 」(葛飾区亀有1-27-8)を目指す。

「吟八亭 やざ和」。
なかなか瀟洒な趣の店で、蕎麦通からの評判も高い。
私は、6年ほど前に来たきりで、呑ちゃんは初めて。

葛飾区の蕎麦屋で私が好きなのは、柴又の「日曜庵」と「やぶ忠」、立石の「玄庵」、亀有の「蕎草舎」とこの「吟八亭 やざ和 」。
あともう一つ、水元の「松のや」も捨てがたい。

「吟八亭 やざ和」は、新宿(にいじゅく)からだと、中川橋渡って、旧水戸街道沿いに西進し、葛西用水と交差する四つ角にある。
外観が、ガウディ風というか、お菓子の家風というか、非常に個性的なので、すぐに見つけることができると思う。

IMG_3314.jpg
(「吟八亭 やざ和」の外観)

店は二階にあるが、入口は一階で、入口のドアを押して入ると、エントランス(玄関広間)があって、さらに階段を登ると店に至る。

IMG_3313.jpg
(「吟八亭 やざ和」のエントランス)

店内には、蕎麦を轢くためのこんな石臼も展示してあった。

IMG_3311.jpg
(「吟八亭 やざ和」の石臼)

呑ちゃんは「田舎蕎麦」(20食限定)を、私は「せいろ」2枚を注文。
ビールは、我慢!

空きっ腹が鳴るのを感じながら待っていると、ついに出てきた。

IMG_3312.jpg
(手前が「せいろ」、向こうが「田舎蕎麦」)

折から、新蕎麦の季節。
ズルズルと美味しくいただく(73点)。
ツユと蕎麦湯も最高である。

美味しい蕎麦を食べると、何だか、五臓六腑がキレイになったような気分になるものだ。

帰宅後、私は、再び自転車(クロス)で水元公園界隈を走った。

気持ちの良い秋晴れの、有意義な一日であった。

IMG_3296.jpg
(桜並木の葉が色づいた曳舟親水公園)

走行距離:63キロ(ロード+6速ママチャリ+クロス)

小さな旅(自転車)    Comment(8)   TrackBack(0)   Top↑

2009.11.12 Thu
海行かば〜死線を歩いた話2
あれは、中学3年の春のことだった。

当時の学校はなぜか運動会に熱心で、春には「小運動会」、秋には「大運動会」という年間二本立てで行われていたのだが、春の「小運動会」の日程は決まっていて、毎年4月29日(さる渡来系世襲豪族の誕生日にて祭日)だった。

何と無謀なことかと思うかもしれないが、われわれ悪ガキ6人組は、中学校1年のときから、この、まだ寒い4月29日の「小運動会」終了後、初海水浴をすることに決めていたのだ。

なぜかと言えば、われわれ悪ガキ6人組は、それぞれ野球部(二名)、バスケット部(二名)、バレー部、吹奏楽部(私)に属していて(しかも、3年次には、そのうちの4人が「部長」だったので)、部活が休みになる「小運動会」(昼下がりに終了)の日が海水浴決行の数少ないチャンスだったのと、どういうわけか、夏まで待てないという海辺で育った少年特有の「渇望」があったからだと思う(思えば、当時の中学校の部活は本当に厳しくて、盆と正月を合わせた年間10日ぐらいしか休みがなかった)。

その日は、生憎の、肌寒い曇天。
運動会の道具と海水パンツを持って、自転車で、学校に出かけた。
自転車通学は禁止されていたが、運動会終了後、そのまま海に出かけられるように、どうしても自転車が必要なので、学校の近くの野原に自転車を倒して隠す。

運動会も終わって、野原に集合した、イガグリ頭の悪ガキ6人組。
今にも雨が落ちてきそうな空を見上げながら、一人が言った。
「寒いな、風も強いし、どうする?」。
一堂は、同じように空を見上げながら黙っていたが、別の一人が、「行くべぇーよ、決めたんだから!」。
こういうときは、一番過激な意見が強いものだ。
何も言わずに自転車に飛び乗り、銚子大橋を渡って茨城県の波崎海岸へ(銚子半島の海辺は岩が多かったのと、学校からは波崎海岸が一番近かったから)。

人っ子一人いない波崎海岸。
折からの低気圧の到来とあって、水平線には鉛色の雲が重なり、強風に波頭が砕け散っていた。
6人は、さすがにしばし凍り付いた。
そして誰しもが、心の中で、誰かが「やめよう」と言いだしてくれないものかと思いながらも、自分がそれを言い出す役にはなりたくないというような行きつ戻りつする不安定な気持ちを押しやるように、殊更に、海辺ではしゃぎ回った末に、ズボンを脱ぎ捨てて、海に向かった。

銚子沖は北からの寒流と南からの暖流がぶつかるポイントで、春になると次第に暖流が強くなって海水が温かくなる頃、それに乗って南方から「初鰹」が到来するわけだが、この日は、寒流がはるかにまさっていたのか、海水はすこぶる冷たかった。

波の高さは、ゆうに5メートルを越え、渚から沖に出ていくにつれ、巨大な壁のように押しかかってくる。
われわれは「波乗り」をすべく、大声を上げながら、大笑いをしながら、大波に近づいていく。

ここでいう「波乗り」というのは、(ボードは使わずに)身体それ自体をサーフィンボードが波乗りをする同じ原理で「波の腹」に乗ることで、上手く乗れれば、100メートル近く身体を運んでくれて、その快感は筆舌に尽くしがたい。

さて、10分も海に入っていると、海水の冷たさが全身にしみわたり、膝から下の骨が何かに叩かれるような痛さを感じるようになり、身体は常に小刻みにぶるぶる震え、唇が、まるでスミレのような紫色になる。
しかしお互いに、その紫色の腫れあがった唇を見て笑い合うばかりで、次第に波乗りに夢中になった。

沖合に出て、身長よりも水深のあるあたりで泳ぎながら大波を待っていたとき、ひときわ巨大な波がやってきた。
一瞬、大きすぎる!と思いながらも、逃げようもなく、隣にいた友達とその波に飛び込んでいった。
鉛色の世界と泡立つ海中と轟音が身体に伝わり、波に乗るどころか、波に呑み込まれてしまった。

気がついてみると、私は、波打ち際にしゃがみ込んでいた。
時間にすれば、数十秒であったに違いない。
だが、おそろしく、長い時間に感じられた。

波に呑まれ、まるで、鉄棒でぐるぐる回転するように、横にではなく、縦に回転するように波渦に巻き込まれた。
私は必死にそこから抜け出そうともがけども、身体が波に縛られているように、どうにもならない。
とにかく、息が続かなくなっても、水を飲むことだけはしまいということに必死に気を払っていた記憶がある。
同時に、ああ、もうダメだ!
オレは死ぬんだとも思った・・・。
波の回転に巻き込まれたまま、海底に押しやられて、引く波に沖合に連れ込まれたら一巻の終わりだということを知っていたからだ(近所の米屋の兄ちゃんもこれで死んだ)。

波打ち際にしゃがみ込んで、しばらくどうなったのか分からず、茫然としていた。
しばらくして、渚を見回すと、友達がやはり、同じように座り込んでいた。
あー、助かったと思った。

寒さと恐怖から抜け出た疲労感で、私は魂を抜かれた人のような状態で、がくがくする足で自転車をこぎ、銚子大橋を渡って家に帰り着いた。

帰るなり、蒲団に入ると、冷えた身体に、蒲団が火照るように熱く感じられた。

走行距離:3キロ(ママチャリ)

思い出    Comment(6)   TrackBack(0)   Top↑

2009.11.11 Wed
『Z』のタイプライター
国家事業の「仕分け」作業が公開されて、その様子の一端をテレビで見た。

省庁から上げられてきた予算要求案を、屹然として、テキパキと裁いている蓮舫議員の姿に、ある種の小気味よさを覚えた。
「けんもほろろ」という表現がぴったりである。

以前に、何回か見たことのある、『Z』(1969年/コスタ・カブラス監督/フランス・アルジェリア)という映画のシーンを思い出した。

Z
『Z』

ギリシャと思しき軍事独裁国家が舞台の映画。

民衆の支持を得ている国会議員( イブ・モンタン)が、演説中、公衆の面前で暗殺される。

極右組織と結託している政府要人による陰謀なのだが、ジャン・ルイ・トランティニャン(フランスの俳優では一番好きです)の扮する有能な判事が、実にドライに、実にビジネスライクに事件の真相を暴いていく。

ジャン
(『Z』のジャン・ルイ・トランティニャン・右)

なかでも、複数の大臣や参謀を尋問するシーンが印象的だった。
何か証言すると、即座に新型のタイプライターが激しく叩かれる。
冷厳な客観的記録性を表現した卓抜なシーンである。
「タイプライター」を撮った映像としては、この映画がベストかも知れない。

深刻なテーマの政治映画だけど、全編にラテン的なユーモアが流れている。
いつ見ても気持ちのよい作品である。

因みに、話は逸れるが、映画の中の「馬」の映像は、『アレクサンドル・ネフスキー』(エイゼンシュタイン監督)と『グレイフォックス』(フィリップ・ボーゾス監督)が素晴らしい・・・。

走行距離:6キロ(6速ママチャリ)

映画の日々    Comment(2)   TrackBack(0)   Top↑

2009.11.10 Tue
因幡の白兎の転落〜死線を歩いた話
かつて考古学少年だった私は、今でも、考古学「爺」であり続け、いつでも何らかの考古学関係の本を読み散らしている。

最近の信頼すべき研究によって、縄文人と弥生人の平均寿命をかなり正確に割り出すことができるようになったそうである。
それによると、驚くべきことに、縄文人の平均寿命は14歳、弥生人のそれは25歳だというのだ(中橋孝博氏の説・『日本人の起源―古人骨からルーツを探る (講談社選書メチエ) 』)。

これを聞くと、今、生きている自分が、実に驚異的な標本に思えてくるどころか、老醜をさらしているとさえ思えてくる。
ただ、当時、こんなに平均寿命が低かった理由は、乳幼児および幼年時の死亡率が、現在に較べて格段に高かったことによるらしい。

私は、そのくだりを読みながら、自分にも思い当たる節があるなあと思った・・・。

これまで、酒を飲み過ぎたり、失恋をしたりして、死にそうな「思い」をしたことなら何度もあったが、本当に死にそうになったことが、実は、二度ある。

いずれも子どもの頃のことだが、今でも、ときたまその時の記憶が夢に出てきて魘(うな)される。

一度目は、たぶん、小学4年生の時のこと。

利根川で、釣りをしていたある秋の日のことである。

当時、利根川の堤防沿いには、廃船が何艘も係留放置されていた。
大抵は全長15メートルぐらいの木造の漁船で、幽霊船のような恐ろしげな船体が波に揺れていた。

しかし、そうした廃船は、釣り人には、絶好のポイントを提供してくれたのだ。
船体が陰を作るので、船底沿いに魚が集まるからだ。

ただ、普通は、堤防から2メートルぐらい離れたところに浮いているので、この船に飛び乗るには、係留綱を何人もで力一杯たぐり寄せておいて、近くに来たところでジャンプして飛び乗るわけだ。

その日も、学校が終わってから、すぐに川に急行し、釣りを始めた。
友達も数人いたと思うが、なぜかみんなは早めに切り上げて、私一人だけが残って、堤防から釣り糸をたれていた。
釣果虚しく、焦っていた私は、堤防沿いに次のポイントを求めてさまよっていた。
お馴染みの廃船が浮かんでいたので、そこから釣ってみようと思ったのだが、生憎、船は堤防から2メートル以上離れたところにあって、飛び移ることができそうにない。
綱を引いてみたが、体重20キロ代の小学生が満身の力を込めて引いてみたところで、蟻が雀の死骸を引くようなものである。

一度は諦めたものの、どうにか乗り移れないものか、廃船の前を行ったり来たりしていたのだが、ふと船と堤防の間をのぞき込むと、ロープで繋がれたドラム缶が数個、河面に浮いていたのである。
たぶん、船と堤防がぶつかった時の緩衝体として、ドラム缶が浮かべられていたのだと思う。

私は、閃いた!
因幡の白ウサギよろしく、そのドラム缶を渡って、舷側のフックに手をかければ、簡単にたどり着けるのではないか?

今から考えれば実に恐ろしいこの「閃き」を実行に移すべく、まず、先に釣り竿とバケツを船に投げ込み、堤防に手をかけてぶら下がり、ドラム缶に足を乗せた。
そして、そおっと手を離し、足を一個目のドラム缶に降ろして、すぐに二個目のドラム缶の飛び移ろうとしたその瞬間、ドラム缶はぐるりと回り、私はどぼんと川に落ちた。

前にも書いたが、利根川の川幅は約1キロ、堤防沿いの水深は満潮時で約2メートル。
しかも、堤防の高さは水面から垂直に1.5メートルほど。
泳ぎは得意だったが、堤防沿いにどんなに泳いでみたところで上陸するすべはない・・・。
普通に考えれば、絶望的である。

私は、必死にドラム缶にしがみついていた。
波に揺られてドラム缶が回らないように、できるだけ深く手をかけて浮かんでいた。
しばらくは、我が身にふりかかった災難の意味が理解できず、茫然としていたが、船と堤防に挟まれたその場所から上を見上げたとき、自分がいかに過酷な状況におかれているかが分かって、それこそ、身震いするそうな恐怖感が襲ってきた。

「助けてー!助けてー!・・・」。
この定番の呼びかけを大声で叫んだのは、後にも先にも、このときだけである。
しかし、私の声は、船と堤防の間に虚しくこだまするだけで、上にいる誰かに届くことはなかった。

その時、私が一番恐れたのは、溺死よりも、船と堤防の間に挟まれて圧死することだった。
堤防と船との距離は、時に遠のき、時に近づいて、ちゃぷちゃぷと、不気味な波音を響かせていた。
ドラム缶の角度を操りながら、船が堤防に寄ってきても、身体が挟まれないようにすることに懸命だった。
この作業が、不思議と恐怖感から救ってくれて、私は、ドラム缶にしがみつきながら、船との距離を保持していた。

ところが、晩秋の夕暮れ時の冷たい水が、急速に体力を奪っていった。

私は、だんだん眠くなってきて、ドラム缶に揺られながら、依然、ぷかぷかと浮いていた。
たぶん、私はほとんど眠り込む寸前だったと思う。
これまで、身体中、水の冷たさが痛いように感じていたのだが、ある瞬間を境に、とっても気持ちのよい恍惚感に変わったのだ。
その時の不思議な感覚は、今でもよく覚えている。
何だか、母親の胸に抱かれているような安心感とふわふわ宙に浮いているような気持ちの良さ・・・。

どのぐらいの時間、そうしていたであろうか。
「お〜い!お〜い!・・・」。
私は、それも、夢の中で聞いたようなような気がして、すぐには気が付かなかったかもしれないが、上を見上げると数人の人影が堤防からのぞき込んでいた。

助かった!という感じではなく、それも、夢の中の出来事のように感じた。
だが、実際、私は、上から差し出された竿をつかみ、数人の腕に引き上げられて助かったのである。

助けてくれたのは、顔の知らない中学生数人で、船に釣り竿とバケツだけが転がっているのを見て、変だと思って下を覗いたのだという。

その中学生たちは、盛んに何かをしゃべっていたが、私の耳は、真空状態のようで、何を言っているか、詳しくは分からなかったが、笑いながら、お互いに冗談を言い合っていて、会話の端々に「馬鹿・・・馬鹿・・・」という言葉だけが連発されていた。

帰り道のことはまったく覚えていないが、家に帰って、玄関を開けるなり、全身びしょぬれの私を見て、「どうしたのぉ?」と聞かれた。
「川に落ちた」と私。
「じゃあ、すぐに風呂に入りなさい!」とだけ言われた。

命の恩人たる中学生たちと、子細を追求をしなかった家の者に、私は感謝の念で一杯になった・・・。

たとえば、縄文の子どもたちも、海や川で私のように釣りをすることもあったに違いない。
私のような「馬鹿」なことはするはずはないが、不運にも、命を落とすこともあったはずである。
だが、そういう子どもたちの「運命」に、回りの子どもたちは何かを学び、親たちも、人間の死の「意味」を理解したと考えたいものではあるが、「運命」だとか「意味」というような賢しらな近代語を操って説明されることは、彼らには、心外かもしれない。

もう一つの「死線を歩いた話」は、また、後日に書くことにしよう。

走行距離35キロ(クロスバイク)

思い出    Comment(3)   TrackBack(0)   Top↑

2009.11.09 Mon
混ぜる門には福来たる〜「世界一美味しい納豆スパゲッティ」の作り方
納豆
考えてみれば、実に、不思議な食べ物である。

一にも二にも、あの独特な香りとネバネバ感が、納豆の特性である。
嫌いな人も、好きな人も、この特性が原因なのだと思う。

私は大好物であるが、「納豆」と聞くだけで逃げ出す人もいるようだ。
納豆が苦手な人は、東海地方以西に多いようだが、(糸引き)納豆は、そもそも、日本列島北部(と言っても、私の勘では、たぶん、利根川流域以北)の特産なので、人の味覚が違うのではなく、むしろ、馴染んでいるかどうかというのがその理由であろう。
現に、大阪のスーパーでも、今では当たり前のように納豆が売られているのを見た。

私が勝手に「断腸亭納豆」と呼ぶ納豆の食べ方がある。
たぶん、関西の人が聞けば、気持ち悪がるかもしれないが、これがめちゃくちゃうまいねん!
納豆に、鰯のたたき、刻みネギ、おろしニンニク、それと・・・焼いたクサヤ(これは関東の人じゃないとなかなか好きになれないかも)を細かく裂いたものを入れて混ぜる。
どうだろうか・・・?

さて、先日に続いて、今日は、「世界一美味しい納豆スパゲッティ」(やっぱりそう来たか!)の作り方をご紹介しよう。
このレシピーの開発には、実に苦節3年を要したことも、ついでに告白しておく・・・。

これも、スパゲッティが茹であがる間にできてしまうので、まず、沸騰したお湯に塩を入れ、麺を茹で始めよう。

ボールに納豆(一人分ワンパック)を入れ、カラシだけ加えて、ねばりが出るまでよく混ぜる。
ここで重要なのは、まだ醤油を入れないこと(納豆の鉄則・醤油を入れる前に十分混ぜる)。

次に生卵を加え、よく混ぜる。
そこに、「のりたま」(ふりかけ)を加え、また混ぜる。
ここで調合するふりかけは、実は何でもよいのだが、私の長年の経験から、「のりたま」がベストである。
ただ、いろいろ試した結果、私の場合、「のりたま」「お茶漬けの素(永谷園)」「青紫蘇ふりかけ」を2・1・1の割合で合わせるのが好きだ。

そこにさらに、ほうれん草(一人一把ぐらい)を湯がいて水に取り、よく水切り(絞る)をしたものをざくざく切って入れる(つまりは、「おひたし」を作る要領に似ている)。
これは、小松菜でも、春菊でも、京菜でも、芥子菜でも、芹でも青菜類なら何でもよい(結構美味しいのは春菊、また、値ははるが、野沢菜漬けを細かく刻んだものを入れるのがベスト)。

そして、納豆には欠かせない刻みネギを多めに入れてかき混ぜる。
最後に、味をみながら、醤油をたして、さらに混ぜる(だし醤油を加えるのもよし)。
そうそう、醤油と一緒に日本酒を垂らしておくのも忘れずに(さらに、鰹節や七味を入れるもよし)。
これで、納豆ソースは出来上がり。

あとは、茹であっがった熱々のスパを入れて手早く、しかし入念にかき混ぜる。
そう、このとき、やはり、少量のバター(必須)を加えると、とたんに素材間の親和性が生まれる。

これは、私のやり方だが、スパを茹でるためのお湯を沸かしたとき、まず青菜類を湯がいてしまい、それをうまく箸でつまみあげて、残ったお湯で、スパを茹でれば、お湯を一回沸かすだけで済む。
この「残り湯作戦」をつかうと、お湯が緑色になってしまうが、バスクリンを入れたみたいに綺麗でもある。

納豆が嫌いな子どもも、結構喜んで食べてくれるので、是非、お試しあれ!
ただし、お酒との相性はあまり良くない。

走行距離:35キロ(クロス)

   Comment(10)   TrackBack(0)   Top↑