日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2012.05.23 Wed
柳田国男の「自転車村に入る」(『明治大正史世相篇』より)を読む
柳田国男の明治大正史世相篇(1930年)は、大変に面白い本である。
一口で言えば、明治大正期の衣食住に関する日常的な物事の変遷を民俗学的に「記録」しておこうという試みである。
その全体像のいくらかを知るためには、本書の目次を通観するにしくはない。

目次;
1 眼に映ずる世相
  1.新色音論
  2.染物師と禁色
  3.まぼろしを現実に
  4.朝顔の予言
  5.木綿より人絹まで
  6.流行に対する誤解
  7.仕事着の捜索
  8.足袋と下駄
  9.時代の音
2 食物の個人自由
  1.村の香 祭りの香
  2.小鍋立と鍋料理
  3.米大切
  4.魚調理法の変遷
  5.野菜と塩
  6.菓子と砂糖
  7.肉食の新日本式
  8.外で飯食う事
3 家と住心地
  1.弱々しい家屋
  2.小屋と長屋の修錬
  3.障子紙から板ガラス
  4.寝間と木綿夜着
  5.床と座敷
  6.出居の衰微
  7.木の浪費
  8.庭園芸術の発生
4 風光推移
  1.山水と人
  2.都市と旧跡
  3.海の眺め
  4.田園の新色彩
  5.峠から畷へ
  6.武蔵野の鳥
  7.家に属する動物
  8.野獣交渉
5 故郷異郷
  1.村の昂奮
  2.街道の人気
  3.異郷を知る
  4.世間を見る眼
  5.地方抗争
  6.島と五箇山
6 新交通と文化輸送者
  1.人力車の発明
  2.自転車村に入る
  3.汽車の巡礼本位
  4.水路の変化
  5.旅と商業
  6.旅行道の衰頽
7 酒
  1.酒を要する社交
  2.酒屋の酒
  3.濁密地獄
  4.酒無し日
  5.酒と女性
8 恋愛技術の消長
  1.非小笠原流の婚姻
  2.高砂業の沿革
  3.変愛教育の旧機関
  4.仮の契り
  5.心中文学の起こり
9 家永続の願い
  1.家長の拘束
  2.霊魂と土
  3.明治の神道
  4.士族と家移動
  5.職業の分解
  6.家庭愛の成長

この目次に取り上げられた壮大な世界を想起するだけで、私なぞは、何だかワクワクしてくる。
話題は実に広く、衣食住をめぐる具体的な記述のみならず、恋愛の技法や家制度にまで及んでいる。

柳田国男は、その「自序」にて、「毎日われわれの眼前に出ては消える事実のみによって、立派に歴史は書けるものだ」(『柳田国男全集』第26巻、9頁)と豪語している。
これは、やれ秀吉がどうの家康がどうのといった、官製の権力争奪史的歴史観に対する批判であると同時に、「かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためし」(『徒然草』)のない日常的な事象を捉えてこそ、歴史の本質を掴むことができるという宣言でもある。
まさに、「神は細部に宿り給う」という思想の実践であり、これによって、柳田は、明治大正期の「常人」(common people)の暮らしを鮮やかに浮かび上がらせている。

本書が書かれたのは、1930(昭和5)年で、明治62年に当たる。
因みに今年(2012年)は、明治144年。
維新以来の大日本帝国が滅亡したのが明治77年(1945年)。
そういう意味では、今日のわれわれからすれば、柳田がこれを書いたのは、日本近代のおよそ中間地点に当たるということも念頭に置くべきだろう。
そろそろ「昭和平成史世相編」を書き始めてもよい頃かもしれない・・・。

さて、今回は、この本の中の第6章「新交通と文化輸送者」の「2.自転車村に入る」(184頁~)という節を中心に見てみたい。

柳田は、先ず、「1.人力車の発明」(180頁~)の節で、以下のようなことを書いている。
・人力車が西洋の馬車から着想を得て、日本で発明されたこと。
・明治期には、人力車が移動手段として一世を風靡したが、大正期になって、乗合馬車や鉄道の登場によって著しく衰微したこと。
・日本では、牧畜文化が発達していなかったので、意外なことに、人に車を引かせることに抵抗がなかったこと。

そして、人力車の次に、自転車について書いている。

自転車は最初の内は、移動(実用)手段というよりは、むしろ、娯楽品として、富裕階級の間で愛好された。
当時は、「嗜輪会」などという愛好者団体があったが『自転車全書』(松居真玄著・1907年刊)などという本格的な自転車の手引き書も出版され始めた。

自転車全書






続く








『魔風恋風(まかぜこいかぜ)』
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/888247/1

自転車女学生
(自転車に乗る女子学生。1903年に描かれた絵)

リアカー
(リアカー)






http://www.eva.hi-ho.ne.jp/ordinary/JP/shiryou/shiryou.html

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2012.05.13 Sun
「帝釈道」を追走する~葛飾区内の古道まとめ
ずいぶん前に書いたもので恐縮だが、「旅する『望郷』としての寅さん」という記事の中で、旅先から東京に戻った寅さんが上野駅からどういう経路で柴又の家まで帰ったのかということを問題にしたことがあった。

つまりは、上野から常磐線金町駅経由だったか、はたまた、京成本線高砂駅経由だったかという話。

それとは別として、最近になって、漱石の『彼岸過迄』(1912年作)を読んでいたら、次のような一節に出くわしてはっとした。

「この日彼らは両国から汽車に乗って鴻の台(註:「国府台」)の下まで行って降りた。それから美くしい広い河(註:「江戸川」)に沿って土堤(どて)の上をのそのそ歩いた。敬太郎は久しぶりに晴々した好い気分になって、水だの岡だの帆かけ船だのを見廻した。須永も景色だけは賞めたが、まだこんな吹き晴らしの土堤などを歩く季節じゃないと云って、寒いのに伴れ出した敬太郎を恨んだ。早く歩けば暖たかくなると出張した敬太郎はさっさと歩き始めた。須永は呆れたような顔をして跟(つ)いて来た。二人は柴又の帝釈天の傍まで来て、川甚という家(うち)へ這入って飯を食った。そこで誂らえた鰻の蒲焼が甘たるくて食えないと云って、須永はまた苦い顔をした」(夏目漱石『彼岸過迄』より)

この二人の人物は、「旅する『望郷』としての寅さん」の中で、その経路の選択肢として、私が最初から排除してしまった「国府台」経由で江戸川土手側から柴又帝釈天に入っていることに驚いた。

つまりは、現JRの「両国駅」から総武線に乗って、ほぼ間違いなく市川駅で降りて、国府台まで出た後、土手沿いを北上し、文中には触れられていないが、「市川の渡」か「矢切の渡」を渡って(まだ江戸川に一本も橋は架かっていなかった由)、柴又に入ったことになる(因みに、まだ京成電鉄は存在していなかった)。

帝釈天明治43年
(『彼岸過迄』の頃の帝釈天界隈地図。赤丸が市川駅、黄丸が国府台、青丸が帝釈天。もちろん、江戸川にはまだ橋がかかっていない。明治43年頃)

この小説の人物たちが辿った経路が、当時として、どれほど一般的なものだったのかは分からない。
もしかしたら、柴又に行くついでに、江戸期以来、名所として名高かった国府台も見ておきたいという人も多かったのかもしれない。

国府台
(江戸期の国府台。広重「鴻の台とね川風景」・鴻の台=国府台、とね川=江戸川のこと)

とはいえ、やはり、一番手っ取り早かったのは、上野駅から常磐線で金町駅に出て、京成金町線の前身たる「帝釈人車軌道」で柴又に出るという経路だったにちがいない。

しかし、鉄道が敷設される前の時代は、東京(江戸)方面から柴又帝釈天をお参りするには、1.水戸街道→帝釈道か、2.千葉街道→篠崎街道かのいずれかを徒歩で辿るのが主たる道筋だったであろう。
現在の自転車乗りが、美味しい名店を求めて数十里を走るように、昔の人は、名にしおう各地の神社仏閣を目当てに数十里を歩いたもののだが、江戸期以降、柴又帝釈天もそのひとつであった。

ということで、今更ながらかもしれないが、今回は新宿(にいじゅく)あたりで旧水戸街道から分岐するいわゆる「帝釈道(たいしゃくみち)」を追走してみた。
「帝釈道」というのは、もちろん、柴又の「帝釈天題経寺」(葛飾区柴又七丁目)に参るための古道のこと。

先ず、その経路図を示しておこう。


(「帝釈道(たいしゃくみち)」)

帝釈道(たいしゃくみち)」の西側の出発点は、はっきりしていて、しかも、現在でもそこには明治30年に建立された立派な石の道標が立っている(地図)。

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(旧水戸街道沿いに建っている「帝釈道」の道標。明治30年建立・地図

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(道標の指し示す方向は、人間の手の形で象られている)

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(この石の道標を拵えたのは、亀有村の石工、「森田常作」と彫られている)

先ずは、この道標から南東方向にのびる道を辿ってみよう。

IMG_0407.jpg
(道標から南西方向にのびる道。因みに、左右に横切っている道は、旧水戸街道=陸前浜街道)

すると、すぐに「新金貨物線」の踏切を渡ることになる。

IMG_0411.jpg
(「新金貨物線」の踏切・地図

ここを通過する際は、是非とも、この踏切名に注目してほしい。

IMG_0410.jpg
(踏切名は、「柴又踏切」・地図

何と、「柴又踏切」という踏切名なのである。
この踏切のある地番は、葛飾区新宿(にいじゅく)4丁目で、「柴又」ではないにもかかわらずこの名称が与えられていることこそ、紛れもなく、ここが柴又帝釈天に至る古街道であったことを物語っているのである。

この踏切を渡って100メートルぐらい直進すると、交通量ばかりが多くて味気ない幹線道路(国道6号線)にぶつかるので、それを渡る。

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(国道6号線を渡る。道の向こう側に見える白い建物は「葛飾区立新宿図書館」)

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(いかにも旧街道らしくくねっている帝釈道)

やや進むと二股の道が現れるが、ここは左の方に行こう。

IMG_0419.jpg
(二股の道は左へ・地図

この二股の道の右の方は、実は、元々は水路(「小岩用水」)だった所で、ちょっと北側には、申しわけ程度に水路の痕跡が残っている。

IMG_0418.jpg
小岩用水の名残)

また、ここの交差点には、そもそも水路が流れていた頃に架かっていた橋の名残も残されている。

IMG_0417.jpg
(水路が流れていた頃の橋の跡。「長次郎橋」)

ついでだが、この「小岩用水」は、上記地点から南は、ほぼ全線暗渠化されてそのまま道路となっている。
道なりに南下すると、旧江戸川沿いの「前川神社」付近(江戸川区江戸川1丁目・地図)まで辿ることができる。
中川大橋東(国道6号線)あたりから、江戸川下流付近へと直接に抜ける最短ルートでもあり、交通量が多くないので、自転車でも大変走りやすいことも書き添えておこう。

さて、帝釈道をさらに先に進もう。
ここから先は、やや道幅が広くなる。

IMG_0421.jpg
(やや広くなる道幅)

しばらく走っていくと、6差路(地図)に出るがここは、迷うことなく直進すべし。

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(6差路は直進・地図

6差路を越えると、また道幅は狭くなるが、お陰で、クルマもあまり進入して来ないのかもしれない。

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(すると、再び、道幅がやや狭くなる)

先ほどの6差路から400メートルほど進むと、今度は、変形5差路(地図)が現れるが、これは左折して大通りに入ればよい。

IMG_0425.jpg
(変形5差路は左折して大通りへ・地図

左折するとすぐに、左に「柴又八幡神社」(境内に6世紀の古墳跡あり)が見えてくる。

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(「柴又八幡神社」)

すぐに京成金町線の踏切が見えてくるので、そこを渡る。

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(京成金町線の踏切を渡る)

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(すぐ右手には、私のお気に入りの「ゑびす家」が見える)

さらに、柴又街道(「柴又帝釈天前」交差点)を渡って、そのまま直進すれば、帝釈天の山門の側面に辿り着く。

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柴又帝釈天山門)

さらに、そのまま直進して江戸川土手に上がれば、江戸川CRに乗ることもできる。

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(江戸川CRにも容易に接続)

さて、これまで、葛飾区内の古道・旧道についていくつかの記事を書いてきたが、ここに一枚の地図にまとめておこう。

帝釈道
(青丸が帝釈天。赤線が「帝釈道」、緑線が「旧水戸街道」、黄線が「旧佐倉街道」。明治末期の地図を使用)

これらの古道は、自転車でも走りやすく、しかも、ショートカットするにも重宝な道なので、是非、利用していただきたい。
なお、この地図の範囲より南を通っている「古東海道」については、以下をご参照のこと。
http://danchotei.blog75.fc2.com/blog-entry-320.html

(この項、了)

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2012.05.11 Fri
新ソラの正体やいかに~画期的なSTIレバーの刷新
今年度、シマノはついにデュラエイスの11速化(9000シリーズ)に踏み切るようである。
まあ、ライバルのカンパニョロ社に対抗しての新製品開発ではあろうが、これで、従来の10速仕様のコンポとの互換性がかなり失われるのは確実である。
また、11速化されれば、チェーン(タイヤにつぐ消耗品)やスプロケは間違いなく高額化するので、無償で部品が支給されるプロの競走屋さんはいざ知らず、多くの趣味の自転車乗りにとっては、百害あって一利なしの改変だと言えよう。

デュラ9000
(デュラ9000のクランクセット)

とまれ、これからの一生涯、9速仕様で通そうという私なぞは、今回のデュラの改変は雲の上の出来事であって、せいぜいがこの11速仕様の波がデュラとアルテグラあたりだけで留まってほしいと祈るのみである。

そんなデュラの新製品よりも、私にとってはるかに関心があるのは、やはり今年度モデルチェンジされることになったソラ(3500シリーズ)の方である。

現ソラ(3400シリーズ)は、コンポーネント(グループセット)としては、デュラ→アルテグラ→105ティアグラ→ソラという「階梯」の中で、最底辺に位置するとは言っても、私の考えでは、コストパフォーマンスとしては最高峰である。
重量的には確かに上位グループより劣るものの、性能的には、これといって遜色があるわけではない。

目隠しをされて、たとえば、アルテグラ組みとソラ組みの自転車の性能の違いを判別できる人がいったいどれだけいるであろうか。
大抵の人は、より高価な製品というだけで、何の根拠もなしに、少しでも上のグレードの部品をその価格差の分だけ優れた製品であると思い込んでいる(あるいは、そう思いたい)だけなのではないだろうか。

そんな人に限って、RDさえまともに調整することさえできない場合が多いのはなぜか・・・。
よく調整されたソラ組の自転車の方が、調整が疎かなデュラ組みの自転車よりも、はるかによく走るのは当然のことである。

1996年に開発された77デュラ以降の9速メカニズムは、私見では、かなりの完成度を達成していると思うし、昨年、ティアグラ(4600シリーズ)が10速化されて以降、ソラこそが9速の最後の砦だったわけなので、先ず第一に、新ソラが10速化されなかったことが、私にとっては何よりもありがたいことだが、まあ、これは「改変」とは言えない。

ソラ完成車
(新ソラ組み完成車見本)

以下、新ソラの改変事項を箇条書き風に列挙してみよう。

一番画期的な改変は、STIレバーである。
従来の親指シフトから上位機種と同様のシフトアップレバーの方式がついに採用された(オプティカル・ギア・ディスプレイ・何段に入っているかを示す目盛りは現ソラのそれをきちんと継承)。

ソラSTIブレーキ
(新ソラのSTIレバー。上位機種と同様のシフトアップレバーの方式となった)

しかも、この新STIレバーは、驚くべきことに、Vブレーキにも対応していることである。

ソラSTI
(新ソラのSTIレバー。レバー軸の「モード・コンバーター」を切り替えることによってVブレーキにも対応)

ブレーキレバー軸の「モード・コンバーター」を切り替えることによって、従来のマウンテン用のVブレーキにも対応できるということである。
これまで、Vブレーキ仕様の自転車(クロスバイクなど)をドロップハンドル化する際の「鬼門」になっていたブレーキ互換の問題が、これで簡単に解決されるわけである。

それに伴い、シマノ社はこの度、ロード用のVブレーキ(「コンパクトVブレーキ」)も製品化することにした(たぶん、他社製のいわゆる「ミニV」のようなものだろう)。

ソラVブレーキ
(「コンパクトVブレーキ」。 BR-R353-S compact V-brake)

なお、ブレーキ関係で言えば、フラットバー用の新ブレーキレバーも発売されるとのことである。

なお、シフトケーブルについては、105以上の機種が実現しているような、テープ内に巻き込めるタイプではない。

次は、クランクセット。
それほど大きな改変とは言えないが、標準で、46-34t(「スーパーコンパクト」クランク)のクランクセットが製品化されることになった。

ソラ46-34
(新ソラクランクセットには、「スーパーコンパクト」として46-34tギアのセットもラインナップ)

アウターギアを46tぐらいにできれば、私のような貧脚ライダーや女性ライダーのように、時速40キロ以上で走る必要が滅多にない人にとっては、大変にありがたいことである。

この46tギア利用は、これまでも、CXシリーズ(シクロ用コンポ)の部品を援用することで可能ではあったが、新ソラとして製品化されることで、単品として求めやすくなったばかりか、完成車に採用されることになるだろうから、以前にも増して、ロードバイクの世界に近づきやすくなるだろう。

ソラクランクセット
(新ソラのクランクセット)

ソラfd
(新ソラのクランクセット。もちろん、各種歯数対応のFDも刷新される)

また、新ソラには、12-30tや11-30t(もちろん、いずれも9速)の新スプロケが加わるほか、それに合わせるように、RDも30t対応になる。

ソラRD
(30t対応の新ソラのRD)

新ソラの発売時期は、まだ正式に発表されてはいないが、5月から7月にかけて、部品ごとに順次発売されるようである。

ついでだが、ソラ以外のシマノ社の新製品情報も少々。

・ロード系シリーズとして、ソラの下に新たに「ターニー」が誕生する。
・アルテグラのRDが30t対応に。
・105とティアグラのRDが32t対応に。

ターニーSTI
(ロード系新コンポ「ターニー」も誕生)

続々の新製品、これから夏にかけて楽しみである。

以上、英国の総合自転車サイト『バイクレイダー』の記事を参照にした。

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2012.05.10 Thu
「春うらら・銚子一泊サイクリング」記~雨ニモマケズ
5月4日から5日にかけて、チーム東葛の皆さんと「春うらら・銚子一泊サイクリング」に参加した。

これほどの多人数(約10名)で宿泊サイクリングに行くのは初めてだったのだが、とにかく個性的な面々が勢ぞろいした今回のサイクリングは、まるで珍道中ものよろしく、面白いおしゃべりや出来事の連続で、心底楽しかった。
ご参加の皆さん、いろいろとありがとうございました。
近いうちに、また、第2弾をやりましょう!(輪行がらめの日帰り仕様なら案外簡単にできますね・・・)。

IMG_0034_20120510103958.jpg
(雨にも負けず、風にも負けず、空腹にも、坂の険しさにも負けずに、犬吠埼に到着)

1日目は、出発地点の「葛飾橋」付近から、国道やサイクリングロードを一切使わずに、県道・農道などを走り継いだ(愚兵衛さんに感謝)。
曇り時々雨の天候で、雨足が強くなると雨宿りも強いられたが、簡易合羽(100円ショップ製など)でどうにか凌ぐことができた。

2日目は、晴天。主として、銚子市内観光に専念し、帰路は昼下がりの列車で輪行(宴会列車)。

以下、二日間の行程を簡単に記しておこう。

1日目(走行距離「葛飾橋」より約135キロ):「八千代・道の駅」→佐倉→高崎川・手繰川流域(愚兵衛さんのご案内)昼食は、11時頃、「しょうね家」(讃岐うどん・富里)→県道45号→国道126号の抜け道ルート→飯岡海岸(漁港)→飯岡灯台(刑部岬)→国道126号の抜け道ルート→屏風ヶ浦→犬若海岸(「犬岩」)→長崎海岸→「外川駅」(銚子電鉄終点駅)→犬吠埼灯台→夕食「かみち」(銚子駅前)→「太陽の里・一望の湯」泊(館内の居酒屋で宴会)

下総の里山
(下総の里山を快走)

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(昼食は、富里の「しょうね家」)

IMG_0025_20120510104603.jpg
(飯岡灯台・刑部岬からの荘厳な風景)

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(飯岡灯台・刑部岬から太平洋を望む)

IMG_0030_20120510104843.jpg
(屏風ヶ浦)

IMG_0032_20120510104942.jpg
(雨に煙る犬吠埼遠望)

外川駅
(「銚子電鉄」終点、外川駅)

お袋
(何と、外川の街では、路傍を歩行中の私のお袋に遭遇。驚愕すべき偶然である。kincyanさん撮影)

かみち
(夕飯は、駅前の「かみち」で)

IMG_0036_20120510105402.jpg
(「太陽の里・一望の湯」にて泊)


(佐倉から八日市場まで・国道296号の抜け道。実際に走った経路とはやや異なる。このルートに関する解説は、ここをご参照)


(国道126号抜け道ルート・古街道を辿る。実際に走った経路とはやや異なる。このルートに関する解説は、ここをご参照)

なお、1日目の走行ルートについては、kincyanさんによる次のルート図が完璧なものである。
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=e79aeccbbe7645e47bb766777c887d59

2日目(走行距離約45キロ):7時出発。犬吠埼灯台→「犬若食堂」(朝食)→「渡海神社」(奈良期創建・極相林)→「妙福寺・藤祭り」→ヒゲタ醤油見学→銚子電鉄機関庫(仲の町駅)→銚子大橋(見るだけ)→銚子漁港→利根川河口→「飯沼観音」(「さのや」の今川焼きを食す)→「銚子ポートタワー」(登らない)→「ウォッセ21」→「海鹿島海岸」→「君ヶ浜」→「若松食堂」(銚子駅前)→「セレクト」(物産店・銚子駅前)→銚子駅(輪行・14:29銚子発の総武本線普通)

ご来光
(宿からのご来光)

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(出発を前に、宿の前で泥だらけの自転車を洗車中)

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(昨日とは打って変わって晴れ渡った早朝の犬吠埼へ)

怒濤めぐり
(犬吠埼下の怒濤めぐり)

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(朝食は、「犬若食堂」)

IMG_0047_20120510135947.jpg
(刺身とかき揚げとフライの盛り合わせでご飯をもりもり)

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(「渡海神社」鬱蒼たる極相林が繁る)

IMG_0054_20120510141404.jpg
(妙福寺の藤棚)

IMG_0061_20120510151848.jpg
(「銚子電鉄」仲の町駅の記念板)

IMG_0055_20120510141552.jpg
(「銚子電鉄」仲の町駅)

IMG_0064_20120510152021.jpg
(銚子電鉄旅客運賃表)


(二日目の銚子周遊ルート。実際に走った経路とはやや異なる)

なお、もっと詳しいレポートは、参加者の以下のリンクをご参照のこと。

*参加者とそのブログのリンク集

・Gibsonさん

http://blog.livedoor.jp/gibson1798/archives/51664489.html
http://blog.livedoor.jp/gibson1798/archives/51664533.html
・NOBさん
http://nobnojitensyablog.blog.so-net.ne.jp/2012-05-05-1
・kincyanさん
http://blog.livedoor.jp/liveokubo/archives/52012645.html
・emoさん
http://emochin.blog.shinobi.jp/Entry/72/#more
・dadashinさん
http://sasa06.blog92.fc2.com/blog-entry-553.html
・愚兵衛さん
たすけさん
・テガさん
・TCR-Nさん
・IWAさん

・「画像掲示板」
http://8217.teacup.com/teamtoukatsu/bbs/t6/l50

二日間の走行距離:189キロ

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2012.04.30 Mon
荷風にならいて~真間川を下る
以下、写真及びそのキャプションと註は、私によるものであるあるが、地の文は、すべて、永井荷風が1947(昭和22)年に「葛飾土産」(『永井荷風随筆集(上)』(岩波文庫・275~281頁所収)として執筆したものである。

-------------------

千葉街道(註:国道14号線)の道端に茂っている八幡不知の藪(註:八幡の藪知らず)の前をあるいて行くと、やがて道をよこぎる一条の細流に出会う。

IMG_0142_20120429161841.jpg
(八幡不知の藪)

IMG_0143_20120429161953.jpg
(八幡不知の藪の説明板)

両側の土手には草の中に野菊や露草がその時節には花をさかせている。流の幅は二間くらいはあるであろう。通る人に川の名をきいて見たがわからなかった。しかし真間川(ままがわ)の流の末だということだけは知ることができた。

藪知らず
(江戸期の「八幡不知の藪」界隈。赤丸が「八幡不知の藪」。青丸が「「一条の細流」。黄丸が「葛飾八幡」。黒線が千葉街道=国道14号線)

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(かつてはその両岸に「野菊や露草がその時節には花をさかせて」いた「一条の細流」跡)

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(「一条の細流」跡。現在は暗渠になってしまっている)

真間川はむかしの書物には継川ともしるされている。手児奈(てこな)という村の乙女の伝説から今もってその名は人から忘れられていない。

市川の町に来てから折々の散歩に、わたくしは図らず江戸川の水が国府台の麓の水門から導かれて、深く町中に流込んでいるのを見た。それ以来、この流のいずこを過ぎて、いずこに行くものか、その道筋を見きわめたい心になっていた。

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(江戸川の水門から真間川が始まる・地図

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(江戸川堤から真間川を眺める)

これは子供の時から覚え初めた奇癖である。何処ということなく、道を歩いてふと小流れに会えば、何のわけとも知らずその源委(げんい)がたずねて見たくなるのだ。来年は七十だというのにこの癖はまだ消え去らず、事に会えば忽ち再発するらしい。雀百まで躍るとかいう諺も思合されて笑うべきかぎりである。
 
かつて東京にいたころ、市内の細流溝渠について知るところの多かったのも、けだしこの習癖のためであろう。これを例すれば植物園門前の細流を見てその源を巣鴨に探り、関口の滝を見ては遠きをいとわず中野を過ぎて井の頭の池に至り、また王子音無川の流の末をたずねては、根岸の藍染川から浅草の山谷堀まで歩みつづけたような事がある。しかしそれはいずれも三十前後の時の戯れで、当時の記憶も今は覚束(おぼつか)なく、ここに識す地名にも誤謬がなければ幸である。
 
真間川の水は堤の下を低く流れて、弘法寺の岡の麓、手児奈の宮のあるあたりに至ると、数町にわたってその堤の上に桜の樹が列植されている。その古幹と樹姿とを見て考えると、真間の桜の樹齢は明治三十年頃われわれが隅田堤に見た桜と同じくらいかと思われる。空襲の頻々たるころ、この老桜が纔(わずか)に災を免れて、年々香雲靉靆(あいたい)として戦争中人を慰めていたことを思えば、また無量の感に打れざるを得ない。しかしこの桜もまた隅田堤のそれと同じく、やがては老い朽ちて薪となることを免れまい。戦敗の世は人挙(こぞ)って米の価を議するにいそがしく、花を保護する暇がないであろう。

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(真間川に架かる橋から「弘法寺の岡」方向を眺める)

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弘法寺へ登る石段)

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(遠景に桜並木が現れる。「手児奈の宮のあるあたりに至ると、数町にわたってその堤の上に桜の樹が列植されている」)

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(もっと下流には、素晴らしい桜並木が健在である)

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(真間川の桜並木)

真間の町は東に行くに従って人家は少く松林が多くなり、地勢は次第に卑湿となるにつれて田と畠とがつづきはじめる。丘阜(きゅうふ)に接するあたりの村は諏訪田とよばれ、町に近いあたりは菅野と呼ばれている。真間川の水は菅野から諏訪田につづく水田の間を流れるようになると、ここに初て夏は河骨(こうほね)、秋には蘆(あし)の花を見る全くの野川になっている。堤の上を歩むものも鍬か草籠をかついだ人ばかり。朽ちた丸木橋の下では手拭を冠った女たちがその時々の野菜を洗って車に積んでいる。たまには人が釣をしている。稲の播かれるころには殊に多く白鷺が群をなして、耕された田の中を歩いている。

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(だが、場所によっては、殺風景な現在の真間川。「河骨」や「蘆の花」も、「鍬か草籠をかついだ人」も、野菜を洗っている「拭を冠った女たち」も、群をなしている「多く白鷺」も、田畑もない)

一時(ひとしきり)、わたくしの仮寓していた家の裏庭からは竹垣一重を隔て、松の林の間から諏訪田の水田を一目に見渡す。朝夕わたくしはその眺望をよろこび見るのみならず、時を定めず杖をひくことにしている。桃や梨を栽培した畠の藪垣、羊の草をはんでいる道のほとり。いずこもわたくしの腰を休めて、時には書を読む処にならざるはない。

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(有名な市川の黒松)

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(真間川沿いの黒松)

真間川の水は絶えず東へ東へと流れ、八幡から宮久保という村へとつづくやや広い道路(註:県道51号線)を貫くと、やがて中山の方から流れてくる水(註:大柏川)と合して、この辺では珍しいほど堅固に見える石づくりの堰に遮られて、雨の降って来るような水音を立てている(註:地図)。なお行くことしばらくにして川の流れは京成電車の線路をよこぎるに際して、橋と松林と小商(こあきな)いする人家との配置によって水彩画様の風景をつくっている。

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(真間川が「八幡から宮久保という村へとつづくやや広い道路を貫く」あたり。宮久保橋・地図

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(「宮久保村」へと続く幹線道。宮久保橋より)

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(「中山の方から流れてくる水」と合するあたりからやや下流の橋。八方橋・地図

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(「川の流れは京成電車の線路をよこぎる」)
 
或日試みた千葉街道の散策に、わたくしは偶然この水の流れに出会ってから、生来好奇の癖はまたしてもその行衛(ゆくえ)とその沿岸の風景とを究めずにはいられないような心持にならせた。
 
流は千葉街道からしきりと東南の方へ迂回して、両岸とも貧しげな人家の散在した陋巷(ろうこう)を過ぎ、省線電車(註:現JR線)の線路をよこぎると、ここに再び田と畠との間を流れる美しい野川になる。しかしその眺望のひろびろしたことは、わたくしが朝夕その仮寓から見る諏訪田の景色のようなものではない。

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(遠景に見える橋・境橋が「千葉街道(=国道14号線)」・地図

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(境橋・「千葉街道(=国道14号線)」)

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(「千葉街道(=国道14号線)」を渡る)

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(「千葉街道(=国道14号線)」を渡ると、さらに川筋の道が続く)

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(「省線電車(註:現JR線)の線路をよこぎる」)

水田は低く平に、雲の動く空のはずれまで遮るものなくひろがっている。遥に樹林と人家とが村の形をなして水田のはずれに横たわっているあたりに、灰色の塔の如きものの立っているのが見える。江戸川の水勢を軟らげ暴漲(ぼうちょう)の虞(おそれ)なからしむる放水路の関門(註:「江戸川水門」のこと)であることは、その傍まで行って見なくとも、その形がその事を知らせている。
 
水の流れは水田の唯中を殆ど省線の鉄路と方向を同じくして東へ東へと流れて行く。遠くに見えた放水路の関門は忽ち眼界を去り、農家の低い屋根と高からぬ樹林の途絶えようとしてはまた続いて行くさまは、やがて海辺に近く一条の道路の走っていることを知らせている。畦道をその方に歩いて行く人影のいつか豆ほどに小さくなり、折々飛立つ白鷺の忽ち見えなくなることから考えて、近いようでも海まではかなりの距離があるらしい。

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(かつてこの一帯は、田圃が広がっていたが、現在は殺風景な住宅街である)

これは堤防の上を歩みながら見る右側の眺望であるが、左側を見れば遠く小工場の建物と烟突のちらばらに立っている間々を、省線の列車が走り、松林と人家とは後方の空を限る高地と共に、船橋の方へとつづいている。高地の下の人家の或処は立て込んだり、或処は少しくまばらになったりしているのは、一ツの町が村になったり再び町になったりすることを知らしているのである。初に見た時、やや遠く雲をついて高地の空に聳えていた無線電信の鉄柱(註:おそらく船橋市行田の「海軍無線電信所船橋送信所」のこと)が、わたくしの歩みを進めるにつれて次第に近く望まれるようになった。玩具のように小さく見える列車が突然駐って、また走り出すのと、そのあたりの人家の殊に込み合っている様子とで、それは中山の駅(註:JR「下総中山駅」)であろうと思われた。
 
水はこの辺に至って、また少しく曲りやや南らしい方向へと流れて行く。今まで掛けてある橋は三、四カ処もあったらしいが、いずれも古びた木橋で、中には板一枚しかわたしてないものもあった。然るにわたくしは突然セメントで築き上げた、しかも欄干さえついているものに行き会ったので、驚いて見れば「やなぎばし」としてあった。真直に中山の町の方から来る道路があって、轍の跡が深く掘り込まれている。子供の手を引いて歩いてくる女連の着物の色と、子供の持っている赤い風船の色とが、冬枯した荒凉たる水田の中に著しく目立って綺麗に見える。小春の日和をよろこび法華経寺へお参りした人たちが柳橋を目あてに、右手に近く見える村の方へと帰って行くのであろう。

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(前方の橋が「やなぎばし」・地図

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(現在の「やなぎばし」)

中山法華経寺
(江戸期の中山法華経寺。北向き。「小春の日和をよろこび法華経寺へお参りした人たちが柳橋を目あてに、右手に近く見える村の方へと帰って行くのであろう」)

流の幅は大分ひろく、田舟の朽ちたまま浮んでいるのも二、三艘に及んでいる。一際こんもりと生茂った林の間から寺(註:「妙行寺」)の大きな屋根と納骨堂らしい二層の塔が聳えている。水のながれはやがて西東に走る一条の道路に出てここに再び橋がかけられている。道の両側には生垣をめぐらし倉庫をかまえた農家が立並び、堤には桟橋が掛けられ、小舟が幾艘も繋がれている。

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(「妙行寺」遠景)

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(「妙行寺」の「二層の納骨堂」。「一際こんもりと生茂った林の間から寺の大きな屋根と納骨堂らしい二層の塔が聳えている」)

遥に水の行衛を眺めると、来路と同じく水田がひろがっているが、目を遮るものは空のはずれを行く雲より外には何物もない。卑湿の地もほどなく尽きて泥海になるらしいことが、幹を斜にした樹木の姿や、吹きつける風の肌ざわりで推察せられる。
 
たどりたどって尋ねて来た真間川の果ももう遠くはあるまい。
 
鶏の歩いている村の道を、二、三人物食いながら来かかる子供を見て、わたくしは土地の名と海の遠さとを尋ねた。
海まではまだなかなかあるそうである。そしてここは原木(ばらき)といい、あのお寺は妙行寺と呼ばれることを教えられた。

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(「妙行寺」山門)

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(「妙行寺」本堂)

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(「妙行寺」本堂の彫刻は素晴らしい。柴又帝釈天のそれに匹敵す)

寺の太鼓が鳴り出した。初冬の日はもう斜である。
 
わたくしは遂に海を見ず、その日は腑甲斐(ふがい)なく踵(きびす)をかえした。

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(私も、「腑甲斐なく踵をかえし」て、家路についたのだった。江戸川放水路の「新行徳橋」付近)

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経路地図;



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2012.04.28 Sat
移りゆく季節を走る~この2週間のサイクリング備忘録1
生来、ものぐさ三年寝太郎気質にて、またまた二週間ばかりの記録が滞ってしまった。

この間、季節は桜から新緑へと変転せり。
以下、過去2週間のサイクリングのことなどを簡潔に振り返っておくことにしよう。

4月15日(日)
チーム東葛たすけさん主催の「真岡鐵道SL撮影ポタと、五行川CRの桜並木サイクリングに参加(ACロードバイク)。

取手駅まで自走(葛飾橋→新坂川→大堀川→手賀沼→県道8号線→国道6号線→大利根橋)。

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(久々に大利根橋=国道6号線を渡る)

取手駅から関東鉄道常総線にて「下館駅」まで輪行。

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(関東鉄道常総線で輪行。長閑な2両列車)

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(車内では車窓の撮影など、子供のように大はしゃぎ)

下館駅で下車。
自転車を組み立て、向かい風の中、勤行川の桜並木土手をずんずん北上。

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(勤行川の桜堤)

そしていよいよ、真岡鉄道・寺内駅で待機して、蒸気機関車を撮影。

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(銚子電鉄並みに長閑な真岡鉄道・寺内駅前)

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(真岡鉄道・寺内駅に迫り来る蒸気機関車)

石炭のにおいが懐かしい。
汽笛の音が、遠い記憶を呼び起こす・・・。

蒸気機関車の記憶は、案外、いくつかの童謡が、その動態をよく伝えている。

♪お山の中行く 汽車ぽっぽ
♪ぽっぽ ぽっぽ 黒い煙を出し
♪しゅしゅしゅしゅ 白い湯気ふいて
♪機関車と機関車が 前引き 後押し
♪なんだ坂 こんな坂
♪なんだ坂 こんな坂
♪トンネル鉄橋 ぽっぽ ぽっぽ
♪トンネル鉄橋 しゅしゅしゅしゅ
♪トンネル鉄橋 トンネル鉄橋
♪トンネル トンネル
♪トン トン トンと のぼり行く
(作詞作曲:本居長世「汽車ぽっぽ」より)

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(煙を吐きながら、桜花に目もくれず走り去る蒸気機関車)

その後、小貝川沿いを南下する。

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(途中休憩。居並ぶ自転車たち)

そして辿り着きたるは、蕎麦屋の「萬吉禎」(茨城県筑西市井出蛯沢)。
古農家を改造したお店で、長屋門も庭も風情がある。

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(「萬吉禎」の長屋門)

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(「萬吉禎」の庭と母屋)

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(「萬吉禎」の母屋室内)

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(「萬吉禎」の料理。これ以外に蕎麦が付いてくる)

目も鼻も五臓六腑も満足したわれわれは、さらに小貝川を南下する。
筑波の峰からは、蟻の行列のようなわれわれが見えたにちがいない。
また、われわれの方からも、変幻する筑波の山容を望むことができた。

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(桜に筑波)

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(菜の花に筑波)

こうしてわれわれは、向かい風の中、たすけさんの楽しくも確実な先導で、下妻駅に到着。

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(関東鉄道常総線・下妻駅。発車時刻の迫る中、輪行の準備をする)

私は、常総線→常磐線を乗り継いで、松戸駅まで輪行。
松戸駅から自転車に乗って帰宅。

お土産に買った石下の「くろさわ」の焼き鶏が、リュックの中でいつまでも暖かかった。

この日の走行距離:105キロ

4月20日(金)
ハンス・ホールベック再訪~「布施街道」のことなど

1週間ほど前に行った守谷(茨城県)の「ハンス・ホールベック」で昼食を取りたかったのと、呑ちゃんが自家製ピクルスを作るので具材となる野菜類の買いだし(「かしわで」)をしたかったので、この日も、朝から北方に向かって走る(ACロードバイク)。

道筋は前回とほぼ同じだが、今回は、経路を多少とも研究してみた。
結局、水元からだと、葛飾橋を渡って、新坂川沿いを北上して豊四季を抜け、大堀川に取り付いた後は、新利根大橋まで、次のようなルートを行くのが、距離の短さと快適さの双方が理想的な交点を結ぶようである。
以下は、その大堀川から新利根大橋までの経路図。



ついでだが、上掲地図上の「布施入口」(地図)から利根川河岸(「七里ヶ渡し跡」)までの経路は、旧水戸街道の脇往還たる「布施街道」に当たる。
布施街道」は、水戸街道の根戸から分岐して、土浦付近で水戸街道と再合流する。
この道は、実に、流山を追われた新撰組(土方歳三など)が宇都宮を目指した道でもある。

布施街道」の「布施」は、もちろん、「布施弁天」に由来するが、土方歳三らが一時的に陣を構えたのも、この「布施弁天・東海寺」であった。

今日は、時間合わせのためもあって、この「布施弁天・東海寺」に寄ってみることにした。

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(「布施弁天・東海寺」の山門)

山門に通じる階段を登り切って、境内に入り、あたりを見回せば、何故に新撰組一党がここに仮の陣を築きたくなったかがよく分かろうというもの。

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(「布施弁天・東海寺」境内。鐘楼の造作が個性的)

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(「布施弁天・東海寺」から東方向を望む)

この寺は、利根川河川敷を見下ろす舌状台地の突端に造営されている。
おそらく、古来、城を築くに絶好の立地であったにちがいない。
水運の要である利根川が一望に見渡せるし、渡し場も掌握できるだろう。

布施弁天・東海寺」一帯は、胸のすくような爽快な地勢で、自分がそこに居ること自体が、何というか、とても気持ちがよい。
また、面白くも何ともない新道の県道47号線に較べて、旧道(=布施街道)は、その旧道らしい、いかにも官能的なくねり方といい、古風を保った長屋門を備えた農家や路傍に佇む石像群といい、日光付近の例幣使街道沿いのように、間違いなく、この先に「何か」があるという期待を抱かせる道で、自転車で走っていてもわくわくしてくる「快道」でもある。
この道は、私の中では、紛れもなく、街道100選に入るものである。

寄り道が長くなったが、こうして私は、開店時間ちょうどに「ハンス・ホールベック」に到着した。

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(「ハンス・ホールベック」)

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(「ハンス・ホールベック」ではガーリックペッパーステーキ定食を食べる)

その後、「かしわで」に寄って、野菜類を買って、流山橋→大場川経由で帰宅したのであった。

走行距離:70キロ

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2012.04.14 Sat
葛飾区の旧佐倉街道を走る~「絵図から見たいちかわ展」
市川歴史博物館」で、特別企画として開催中の「絵図から見たいちかわ」展(江戸明治期の市川絵図・地図資料を展示)を見に行くことにした。

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(「絵図から見たいちかわ」展のポスター。5月27日まで。入館料無料)

水元から「市川歴史博物館」(市川市堀之内)に行くには、葛飾橋を渡って、松戸を南東へと抜けるのが一番近いのだが、この日は、せっかく市川まで出るのだから、かねてより気になっていた葛飾区内の「旧・佐倉街道を辿ってみたくて、ちょっと大回りをすることにした。

江戸期以降、日本橋から東北方向に走っている街道としては、もちろん、奥州街道がいわば「本道」だが、千住宿で水戸街道が分岐する(さらに、宇都宮で日光街道が分岐)。
その水戸街道だが、亀有宿で中川を渡ってから、新宿(にいじゅく・葛飾区)で、さらに佐倉街道帝釈道が分岐する。
その分岐点は、現在の「中川大橋東」(国道6号線・地図)の交差点付近である。

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(旧水戸街道沿いに建っている「帝釈道」の道標。明治30年建立)

佐倉街道は、そもそもは、将軍を含めた幕府の要人や大名(参勤交代など)が江戸佐倉間を往来するための道であったが、江戸中期以降、民衆の間で成田山参りが盛んになってからは、佐倉から成田への直結道と化したため、むしろ、「成田街道」と呼ばれることが多くなった。

ただ、明治期になって、佐倉藩が解体され「佐倉県」となってからも、第一軍管区東京鎮台の歩兵第2連隊が置かれるなど、千葉県では、佐倉は要衝の地であり続けたため、佐倉街道も主要幹線道の座を維持していたが、多分、戦後になって、国道6号線の東向島~四つ木間が開通したことによって、葛飾区内を通る佐倉街道は幹線道路の座から生活道路に転落したものと思われる(これと同時に葛飾区内の荒川→亀有間の旧水戸街道もその存在を忘れられた)。

さて、今回は、水戸街道から分岐するところから「市川関所跡」までをご紹介しよう。
というより、市川から先の佐倉街道は、船橋付近までは千葉街道(現国道14号線)と同一なので、わざわざ取り上げてみる必要もないのだが・・・。

なお、このルートは、中川から市川橋(江戸川)へ抜ける、自転車でも走りやすい最短ルートでもあることも書き添えておこう。

まず、経路地図を示しておこう。


(佐倉街道。水戸街道からの分岐点から市川関所まで)

先ずは、国道6号線沿いの「中川大橋東」交差点の旧佐倉街道西端入口から入ってみよう。

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(「中川大橋東」クルマが止まっている正面の道が旧佐倉街道入口。南に向かって撮影・地図

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(旧佐倉街道に入る。いかにも旧道らしくわずかに道がくねっている。一通路につき、走行注意)

500メーターぐらい道なりに南進すると、道幅が急に広くなる十字路(地図)が現れる。
そこを左折する。

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(道幅が広がる十字路で左折。角に小さな蕎麦屋あり・地図

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(その十字路を左折すると比較的大きな通りにぶつかるが、そこを右折する・地図

ここの曲がり角をクリアーできれば、あとは道なりに進めばよい。
すぐに「新金貨物線」の踏切が見えてくる(地図)ので、そこを渡る。

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(「新金貨物線」の踏切を渡る)

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(踏切を渡ると、3差路が現れるが、ここは真ん中の道を直進)

踏切を渡って300メートルぐらい進むと、左側に、大きくはないが、なかなか風格のある寺が現れる。
祟福寺」(葛飾区高砂7丁目)である。

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(佐倉街道筋の「祟福寺」)

祟福寺」がここに建立されたのは、つい最近の1928(昭和3)年のことだが、元々は、日本橋浜町に建立されたのが「明暦の大火」(1657年)で焼失したため浅草に移転し、さらに関東大震災で被災して当地に移転して現在に至る。

かくほどさように新しい寺ではあるが、その鐘楼は一見の価値がある。

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祟福寺の鐘楼)

この祟福寺から400メートルぐらいさらに道なりに進むと信号機のある交差点(「高砂8」・地図)に出る。

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(「高砂8」の交差点・地図

この交差点の一角には、おむすびやお総菜で有名な老舗「伊勢屋」がある。

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(「伊勢屋」)

ここのおにぎりは種類も多くて大変に美味しいので、自転車乗りなら、3つぐらい買っておいて、後で江戸川堤で食べるのもよかろう。
因みに、この交差点を左折して道なりにしばらく走れば、柴又帝釈天に至る。

さて、佐倉街道を辿るわれわれは、ここも断固として、道なりに直進しよう!
しばらく走ると、京成金町線の踏切が現れるので、それを渡ると、右側には「京成自動車学校」、左側には「葛飾区立桜道中学校」が見えてくる。

この「桜道」中学校という校名(1948年に命名)は、明らかに、「佐倉道(さくらみち)」をもじったものだが、この中学校を過ぎたあたりから、図ったかのように素晴らしい桜並木が現れる。

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(桜道に変貌する佐倉道)

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(「さくらみち」界隈の地図板)

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(「親水さくらかいどう」=旧佐倉街道の石碑)

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(「親水さくらかいどう」の説明板)

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(「親水さくらかいどう」の「さくら」は、もちろん、桜と佐倉を掛けているのであろう)

この「親水さくらかいどう」と称する事実上の旧佐倉街道(最近、よく聞く言い回しを使ってみました)は、さらに北総線高架をくぐって、柴又街道を渡り、江戸川土手(右岸)とぶつかって終わる(地図。因みに、柴又街道を渡って少し進んだところで、葛飾区から江戸川区に入る。このあたりの区境は何故か入りくんでいるのだ)。

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(江戸川土手にぶつかる・地図

ところで、その少し手前の右手に、ちょっと風流な門のようなものが建っていて、立派な石垣が見えるが、これが「上小岩親水緑道」の入口である。

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(「上小岩親水緑道」の入口)

この「上小岩親水緑道」(江戸川区)は、南北約1キロにわたる遊歩道で、夏の散策には適しているし、自転車も通行可なのだが、狭くて走りにくいのでお勧めできない(なお、江戸川区内には、この種の親水緑道が多いことも書き添えておこう)。

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(「上小岩親水緑道」入口付近)

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(「上小岩親水緑道」)

さて、往時の佐倉街道は、この先は、現在の江戸川土手のあたりを通っていたのだが、土手の改修工事のため消滅してしまっている。
徒歩者なら、近くの階段を使って土手に上がればよいのだが、自転車だと大変なので、ここでは、自転車でも走りやすい疑似佐倉街道(「佐倉街道」と私が称する事実上の普通の道)をご紹介しよう。

江戸川土手に寄って行くと、次の写真のような3叉の道が現れる。
この真ん中の道を道なりにどんどん走って行こう。

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(3叉の道。真ん中の道を道なりに)

この道は、江戸川土手下を走る道で、見上げると交通量の比較的多い車道(「篠崎街道」)が見える。

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(土手下の道。向かい風の強い日なぞは、江戸川CRよりも快適)

この土手下の道をしばらく走ると、土手上の篠崎街道が内陸方向に曲がり込んでくるものだから、「唐泉寺」(江戸川区北小岩・地図)のところで土手下の道も逸れてしまう。

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(向かって右手に見えるのが「唐泉寺」)

そこで、「唐泉寺」を通り過ぎて一つ目の路地を左折する。

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(「唐泉寺」を通り過ぎて一つ目の路地を左折。自転車のオジサンがいる道に入る・地図

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(すると再び土手下の道が復活)

こうして、さらに土手道を1キロほど直進すると、京成線の鉄橋の手前に土手に上がるスロープが見えてくるので、このスロープを登る。

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(土手に上がるスロープを登る・地図

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(土手の上に登ったところ。川の向こう岸に見える緑が国府台)

あとは、市川橋(国道14号線)を渡って、右岸を土手沿いに少し走れば、今回の終点である「市川関所跡」が見えてくる。

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(「市川関所跡」。小岩側を望む。前面に見える鉄橋は京成線)

この市川の関所は、「市川の渡し」があった場所である。
江戸と下総を往来するためには、必ずどこかで江戸川を渡らなければならないわけだが、この渡しの歴史は大変に古く、上代の「古東海道」の頃には既に設置されていた可能性がある。
しかも、この渡しは、現在の「市川橋」の前身である「江戸川橋」が1905(明治38)年に架橋されるまでは、実に千数百年の長きに渡って現役であり続けたわけである(この架橋もまた、葛飾区内の佐倉街道衰亡の一因でもある)。

市川関所
(江戸期の「市川の渡し」。手前が小岩側で向こう岸が市川側)

さて、こうして私は、「絵図から見たいちかわ」展(江戸明治期の市川絵図・地図資料を展示)に行ったわけだが、それについては、ここでは詳述するに能わず。

地図や歴史の好きな人にとっては興味深い展示会だが、そうでない人には面白くも何ともないであろうとだけ書いておこう。

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(「絵図から見たいちかわ」展)

この日の走行距離:45キロ

この項、了。

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2012.04.13 Fri
ドイツ料理店「ハンス・ホールベック」(守谷)に脱帽~買い出しサイクリング紀行
朝起きて、今晩は玄米飯にしようと思った。
我が家では、1週間に1度ぐらいは玄米飯を食べることにしている。
健康のためということもあるが、玄米飯が好きだということもある(もちろん、白米も好きだけど)。
ただ、夕飯に玄米を食べるためには、炊飯よりもかなり事前に水に漬けておかなければならないので、今の時季だと、午前中に「仕込み」をしなくてはならないのである。
因みに、米を水に漬けておくことを、東北では、米を「潤(うるか)す」という。
何と美しい言葉であろうか・・・。

米びつ代わりのペットボトルを見ると、玄米は1合にも満たなかった。
これは買い出しに行かなければ・・・。

ここで、ある考えが浮かんだ。
かしわで」(柏市)に行くついでに、かねてより訪れてみたかった「ハンス・ホールベック」(茨城県守谷)に寄ってみようではないか。
ハンス・ホールベック」と言えば、何と言っても、自転車仲間のGibsonさん。
Gibsonさんの記事を読む度に行ってみようと思い焦がれつつ、なかなかその機会がなかったのが、ついにその好機が到来したというわけである。

水元から葛飾橋を渡って、松戸の新坂川筋を北上。
豊四季を抜けて、大堀川に取り付く。

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(富士川沿いの長閑な風景だが、すごい風だった)

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(大堀川沿いの桜並木)

国道6号の手前で一般道に降りて、県道7号→県道47号で新大利根橋を渡って、イオンの所を左折して、常総ふれあい道路を直進。
北西からの強風で、橋を渡るのに難儀したが、どうにか無事に辿り着く。

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(新大利根橋から利根川を見下ろす。利根川も、このあたりまで来ると、江戸川ぐらいの川幅しかない。久しぶりのACロードバイク)

「OPEN」という掲示を見て、意気揚々と入店すると、食事は11時半からだという。
10時からオープンしていたのは、ソーセージやハムの売店だけだったのだ。

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(見るも美しい売店のソーセージやハム)

仕方がないので、近所の「ジョイフルホンダ」で暇つぶしをすることに。

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(広大な敷地をもつ「ジョイフルホンダ」の自転車店。あまりに広いので、自転車置き場かと思った。大した自転車は置いていなかったが、ママチャリ類はかなり安いと見た)

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(酒類売場。激安)

酒類売場では、特に今季新発売のビール類が大変安かったが、後で米も買わなければならないので今回は諦める。
作業服売場で、5足350円という破格の安さの軍足だけを購入。

開店10分前に再度入店。
Gibsonさんがお勧めのローストポークを注文しようとしたが、今日の昼定食リストにはなかったので、「ジャーマンステーキ(豚)」の定食を注文する。

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(まるで、それこそドイツに来たかのような落ち着いた店内)

店内の内装・装飾・調度類は、ファミリーレストランによくあるような張りぼて安ピカではなくて、実質感のあるもので揃えられているので、とても落ち着いた気分になれる。

メニューやパンフレット類を読んでいると、まず、前菜のカスラーとザワークラウトの盛り合わせが運ばれてきた。

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(前菜のカスラーとザワークラウトの盛り合わせ)

カスラーというのは、一種のハムなのだが、ベーコンとも全然違う風味で、見た目から想像するよりもずっとさっぱりした味わいである。
また、付け合わせのザワークラウト(キャベツの漬物)との相性も抜群で、できれば、ビールとともに、あと10皿ぐらい食べたいほどである。
カスラー、いったい、どうやって拵えるのだろうか・・・?

次に出てきたのは、スープ。

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(コンソメスープ・肉団子入)

前菜の後にスープが出てくるということは、ビールを飲むことを前提に組み立てられたコースである。
ただ、守谷は、葛飾区から鉄道で来るのは面倒くさすぎるので、わざわざ飲みに来ることはないだろうなあ・・・。

それにしても、西欧料理のコースは、どうしてスープが先に出てくるのだろうか。
私としては、スープは、メインと一緒に出てきて欲しい気がする。
いや、できれば、前菜やサラダも、全部一緒に持ってきて欲しいと思う。

そう言えば、トロント(カナダ)の日本食レストラン(超高級)に行った時には本当に面食らった。
最初に出てきたのが、何と味噌汁で、味噌汁を飲み終わるまで次が出てこないので、仕方なく、味噌汁を酒のつまみにせざるを得なかった・・・。

さて、そんなことを考えていると、いよいよメインが出てきた。

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(メインのジャーマンステーキ。ライス付)

豚肉のステーキとソーセージ1本とジャガ芋炒めとブロッコリー。
このステーキがウマイ!
どんな味付けをしているのか見当もつかない。
明らかに、醤油は使っていない。
香草などをうまく調合したタレに漬け込んでから焼くのだと思う。
ソーセージももちろん本格的なもので、一口囓れば、口の中がパラダイスになる。
ジャガ芋がシャキッと炒められているのも気に入った。
これで、1000円とはかなり安いと言わざるを得ない。

この店は、手賀沼・利根川・小貝川あたりのサイクリングと掛け合わせて、これからも度々来ることにしよう(近くに「ジョイフルホンダ」もあるしね)。
ソーセージやハムをお土産に買って、店を出る。

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(ステーキ類も、テイクアウトできる)

帰路、「かしわで」に寄って、玄米2キロ、大根、カブ、ニンジンなどを買って、流山橋→大場川(三郷)経由で帰宅する。

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(江戸川堤の菜の花ロード。このあたりで南西の風に変わった)

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(三郷公園。アウター46tはやはり走りやすい)

走行距離:68キロ(ACロードバイク)

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